私の祖父が逝去してから早一年が経とうとしている。
本日は法事。
人は法事に何を求めているのだろうか。
死者とともに過ごした過去を思い出し、忘れ去らないためだろうか。
逆に過去から良い思い出として綺麗な記憶だけを選別し、他の記憶を整理するためだろうか。
「過去の人」になるのは辛いことだ。
生きていても死んでいても、それは同じだと思う。
せめて、法事はその人を「過去の人」にしないための行事だと思いたい。
1日の最後にPCに向かうと眠れなくなってしまう私が、起きてから前日の記録を残す場所。
私の祖父が逝去してから早一年が経とうとしている。
本日は法事。
人は法事に何を求めているのだろうか。
死者とともに過ごした過去を思い出し、忘れ去らないためだろうか。
逆に過去から良い思い出として綺麗な記憶だけを選別し、他の記憶を整理するためだろうか。
「過去の人」になるのは辛いことだ。
生きていても死んでいても、それは同じだと思う。
せめて、法事はその人を「過去の人」にしないための行事だと思いたい。
少し前に歩数計を買ったことは、既に書いた通り。
最近、よく両親から肥えたと言われる。
もともと、療養というのは食事を摂って休んでいる、つまりいわゆる「食っちゃ寝」の生活を送っているわけで、体重が増加するのも無理もない話だ。
拒食症などの神経症は別だが、原則として鬱タイプの神経症はそういう理由から肥満になりやすいと聞く。
そんな自分の怠惰さを戒めるべく買った腕時計兼歩数計を腕に巻き、本日は昼食がてら父と散歩に出掛け、少し遠くにある松屋まで往復。
最終的に本日の記録は6'000歩を超えた。
着実にオジンクサさを増していく我が人生。
誠に申し訳ないことに。
夜更かししてしまった。
ExcelをいじっているうちにINDEX関数やOFFSET関数を使ってデータを引き出す手法にはまりこんでしまったのだ。
元々の性格も手伝っているだろうが、抗うつ薬も重なってか全く疲れ知らずで27時まで作業してしまった。
さすがに朝方に両親から苦言を呈された。
確かにこれでは休養も何もあったものではない。
「明日に回す」ことも、まともな社会人になるためには大切なのだろう。
着る物が、無い。
実家での療養がこれほど長期に及ぶとは全く思っていなかった私は、2日分くらいの衣服しか持って来なかったのだ。
さすがに洗濯が滞るとあっという間に着る服が無くなるため、今日は買い物に出かけた。
久々にパーカー2着、タートルネックのセーター1着、ジーンズ1着、靴下3足、Tシャツ2着と大量の買い物をした。
値段が張るが、この際仕方が無い。
今日から装いも新たに散歩に出かけたい、のだが。
あいにく所沢は雨模様。
というわけで昨日の日記を受けて、歩数計を買ってきた。
丁度ゴツい腕時計しかなかったので、カジュアルな腕時計タイプ。
お医者様のところで起動したのでその帰路しかカウントされていないが、それでも既に4'000歩近い値を出している。
ちょっとだけ、明日が楽しみになる器械かもしれない。
これからは晴れた日は散歩に出掛けよう。
最近、太り始めたような気がする。
もともと抗うつ薬は交感神経を活発化させるので、食欲が増しやすい。
まして今までしていた自転車営業をしなくなったとなれば、太るのも道理だ。
軽い運動を組み込んだ日課プログラムを組んだが、これが何日続けられるのやら。
いっそ父のように歩数計を買おうか。
昨晩、言葉の遣い方について父に進言したところ、かなり彼を不機嫌にさせてしまった。
しかし集客に注力するという文面で「せいぜい」を使うのはやはり変だ。
そこはかとなく投げやりなイメージを感じる。
私自身、以前「わざわざ」と言うべきところを「いちいち」と言ってしまい、かなり相手を不機嫌にしてしまった経験がある。
結論。
言葉選びは慎重に。
父が散歩に出るというので、新聞を買いがてら付いていった。
私は日経新聞を1週間に5日分だけ取っている。
営業日は最長でも月間22日しか無いので、月極で配達してもらうよりも安い。
買いに行くのは面倒ではあるが、いい散歩にもなる。
今日は買い物には出掛けない。
何をしようか、ゆっくり考えよう。
父が医者に掛かると言うので、外出がてら付いていった。
以前東京都北区に住んでいたことのある我々は、東京都文京区白山に掛かり付けの医師がいる。
所沢市へ引っ越してしまった現在でも、診てもらうことがしばしばある。
父によれば、本日は薬が足りなくなるため補充に行ったとのこと。
私も池袋の東急ハンズで鞄を少しだけカジュアルなものに買い換えて気分転換。
この布製のバッグを携えて、明日も散歩に出掛けよう。
指編みの練習を始めた。
音楽が好きな私だが、逆に音をほとんど立てない編み物や刺繍などの手芸も私は気に入っている。
かつては学校の裁縫でクラス最高点をマークしたこともあった。
しかし指編みはなかなか難しい。
ようやく指リリアン編みはできるようになったが、連続した指鎖編みはまだできない。
いずれはこれでピアノ柄のマフラーを編むのが、私の目標の一つ。
本日は恒例の主治医受診。
以前に書いたように産業医の先生が仰ったことも伝え、今後について話していただいた。
投薬量の調整として睡眠薬が一つ追加された。
おかげさまで夜間は目を覚まさなかった。
が、朝になっても目は覚めなかった。
正確には午前7時には目覚め、雨戸を開けたりしていたのだが、あまりの寒さでコタツに潜り込んだのが運の尽きで、そのまま二度寝してしまったのだ。
実際、睡眠薬がまだ残っている感覚が強く、なかなか頭がスッキリしない。
そうこうしている間に、本日もブログの更新期限を過ぎてしまった。
今後もこの調子が続くようでは、一日のうち半分はぼーっとしている計算になる。
それ自体は休養としては良いことなのかも知れないが。
ウェブページが遂に完成した。
苦節4週間。日によっては朝食後から夕食前まで通して、PCの前でカタカタとデザイン調整をする日もあった。
ポピュラーミュージックに興味のある方、Web1.0がどこまでできるのかご覧になりたい方、その他興味の無い方も、是非一度ご覧あれ。
本日は眠りが非常に浅い。
ほぼ1時間~2時間おきに目を覚ます有様。
おかげさまで当然のことながら疲労もほとんど取れていない。
お医者様からロヒプノール2mgというなかなか強力な中間型睡眠薬をいただいているはずなのだが。
お医者様は「(いつでも)眠くなったら休んで良い」と仰ってくださったが、昼間も眠気が持続し、やることが無くなると頻繁に昼寝をしてしまうことが悪影響を及ぼしているのかも知れない。
先日書いた通り、服用薬の変更を考えるべきなのかも知れない。
主治医のお医者様には明後日に診ていただく予定だ。
夢見が悪いことは以前にも書いたが、今日は格別悪かった。
舞台は来年4月の職場。
復帰して間もない私は完全に仕事に取り残されている。
自らの業務に忙殺され、私を気に掛ける余裕の無い同期や先輩。
あんた一体この一年間何をやってたんだ、と蔑んだ視線を送ってくる後輩。
目の前のPCは頻繁にフリーズを繰り返す。
職場と言っても以前の職場と違い、窓ガラスに向かってPCが置いてある近代的なビルだったので心配は無いとは思うが。
まさか正夢か。
何かをするための第一歩が踏み出せなくなってきた。
第一歩を踏み出す気力がなかなか出ない。
布団から出るだけにもエネルギーを絞り出さなければならず、今日は半日布団から出られなかった。
この「気力が足りない」のは鬱病の典型的症状である。
ただ、主治医が仰るには「緊張が解けた状態」になると何もする気が起きなくなるらしいので、そう考えるなら「何かしなければならない」という強迫観念からの脱却が始まったという良い兆候なのかも知れない。
しかし「何かしたいのにそれをやるための第一歩がエネルギー不足で踏み出せない」というのは少々応える。
そんなエネルギー不足の自分に嫌気がさしたら本当に鬱病へ転落だ。
今は休養中、それでいいんだ、という意識だけは持ち続けなければならない。
少々疲れたが、本日の記録はこれにて終了。
やはり今まで感じたことの無いエネルギー不足感に苛まれつつ。
私はながら作業ができない。
ひとつの作業に集中してしまい、他がおろそかになってしまうのだ。
関連している作業を並行させることならまだしも、まったく無関係なテレビを見ながら他の作業をするといったことは不可能である。
今朝は先日書いたカナダ在住の後輩とスカイプで電話していたため、記録を付けるのが遅れてしまった。
これで2日連続の期限切れである。
早くも先行き不透明なこの日記。
果たしていつまで続けられるのか。
本日は記録を付けるのを完全に忘れていた。
既に日本時間では夜である。
しかし本日は重要な記録事項があるので、投稿日時をいじってでも記録しておくことにする。
本日は会社の健康管理室と本社人事部を訪問。
1ヶ月間の経過を報告した。
睡眠中、未明に目を覚まさずに済んだ日は2日しか無い。
この睡眠障害、どうやら私が考えていたよりも深刻な問題であるようだ。
確かに睡眠の質が悪いためか、身体の疲れはなかなか取れない。
加えて昼間には強力な眠気に襲われ、集中が切れると電池が切れたかのように眠り込んでしまう。
このままでは月曜から金曜まで働き続けることは難しいだろう。
睡眠からいつ目覚めるかは身体のメカニズムが決定しており、気の持ちようで解決できるものでは無いらしい。
投薬を調整して一旦強引にでもメカニズムを変更し、ぐっすり眠る環境を整えなければならないようだ。
復職まで早くてもあと3ヶ月はかかるだろう、というのが健康管理室の診断だった。
年内復帰は絶望的、同期との差も開く一方だが、この期に及んで四の五の言っても仕方がない。
今は休養と治療を最優先に掲げ、3ヶ月後に万全の態勢が築けるようにすることが第一だ。
以前の私の境遇を知っている方の中には、ひょっとしたらこのブログを読んで「ん?」と思っている方もいるかも知れない。
私は4月に新入社員として証券会社へ入社し、今は札幌支店に所属しているはずだから、所沢の実家にいる家族と同居しているはずは無いのだ。
実は、2ヶ月ほど前にパニック障害に伴う過換気症候群という病気を患い、現在実家で静養中なのである。
今となって考えてみれば、8月頃から身体の疲れが抜けないままの出社が多くなり、9月には午前3時頃に目を覚ます中途覚醒が目立ち、気力の減退も著しかったので、鬱(鬱病とは言わないまでも鬱状態)にもなっていたような気がする。
そんな中で、同期より先に倒れるわけには行かないという恐怖感から勤務を続け、状況を悪化させてしまった結果があの過換気だったのではないだろうか。
何せ最初の発作の時は自分では何もできなくなってうずくまってしまい、出社しない私を心配して様子を見に来て下さった上司のおかげで救急搬送していただいた有様だったのだ。
パニック障害は、突発的な動悸や息切れ、息切れに伴う酸素欠乏感、それによる過換気(息の吸いすぎ)と、その結果血中phがアルカリ性に傾くために起こる身体の痺れなど、嵐のような身体の不調が突然やってくる病気である。
その他にも視界がモノクロになったかのようになって暗くなる、香水などの匂いに異常に敏感になるなど、様々な変化が起こる。
パニック障害にせよ鬱状態にせよ、どうもセロトニンやノルアドレナリンなど脳内の神経伝達物質がストレスなどによって乱れた結果生じるらしく、ただの「気の持ちよう」でかかるものでも無いようだ。
そのため、薬によってこれらの物質の量を調整することで治療する方法が一般的らしい。
現在でもいくつか、パニック障害の引き金となるものがある。
その他にも、今でも倒れた9月18日のことを思い出すと無意識に手が震えるなど、正常とは言えない状態が続いている。
特に酷いのは中途覚醒で、必ずといってよいほど午前3時頃に一旦パチリと目が覚める。
夢見も悪く、身体の疲れもあまり取れていない。
こんな状態なので、先月から父の知り合いだという精神科のお医者様のもとへ通っている。
未だに「自らの緊張を解きほぐす」ことがうまくできていないことが根本的な原因であるようだ。
明日は会社の産業医との面談が控えている。
今後の私の扱いも、そこでの私の回復具合によってある程度決まってくるのだろう。
パニック発作などの急性的な症状はあまり起こらなくなったが、慢性的な症状は未だに続いている。
私に下される判断は、果たして。
7日坊主。
起きた時間が9:00では、GMTで日記を書いても当日の日記にはならない。
現在11時(GMTで翌日2時)だが、誠に申し訳ないものの私の完璧主義の叫びに従い、8:59(GMT23:59)に書いたものとして登録させていただく。
中学・高校と同じだった、腐れ縁の友人と会ってきた。
精神神経科医への通院に関しては私の大先輩に当たる人物である。
何せ私の1ヶ月に対して、相手は3年というツワモノだ。
私が取り出した本に載っている抗鬱薬や抗不安薬、睡眠薬のほとんどを知っている。
3年かかって未だに回復していないのは、どうやら自宅が休まらない環境にあるからではないか、と私は見ている。
鬱状態とは簡単に言えば「動く気力が足りない状態」である。
それが深刻な場合、本来はじっくりと気の休まる環境で休養し、動く気力を充電しなければならない。
しかし自宅が気の休まる環境では無ければ、なかなか鬱状態からは抜け出せないだろう。
きっと周囲の人間も、鬱に陥った人間に対してどう接すればよいのか戸惑っているのだろう。
その答えが見つけられないうちに、3年の歳月が経ってしまったのではないだろうか。
私の一家は相手の母親についても知っている。
鬱状態の人間への接し方に関して伝えることで、微力ながら力になってあげられればよいのだが。
起きたら午前5時だった。
気持ちの良い目覚め。
9月以来、午前3時前後に覚醒してしまう日々がずっと続いていたので、非常に嬉しい。
ようやく緊張が解けてきたのかも知れない。
明日は、果たして。
久々に全力を出して全力で眠った。
11月に入って以来、毎日のように悪夢にうなされ、午前3時前後に起きてしまうケースが多かったのだが、今日は(やはり2時過ぎに目覚めてはしまったものの)特に夢などを見ることも無く眠ることができたように思う。
回復へ向けて少しでも前進している証だと思いたい。
明日もまた、ホームページ作りに勤しむ。
タイトルはジャズ・ナンバー"Stompin' at the Savoy"「サヴォイでストンプ」より。
本日は先日からメールで連絡を取っていたカナダへ留学している後輩とSkypeで1時間半ほど話した。
向こうとの時差は14時間。
私がもう午後10時になっているというのに、相手は起きぬけの午前8時。
そこから2時間弱を使ってしまったので私が翌朝起きられるか少々不安だったが、何とか問題なく起きられたようだ。
相手は高校時代の後輩。
最初に知り合ったのはもう8年近く前になる。
その頃を考えると、現在は流暢な英文を書いてメールを出してくるし、彼女曰く日本からの「脱国」という環境の変化もあってか随分と明るくなった。
環境の変化に適応できず実家へ戻って静養している私としては羨ましい限りである。
今後も彼女が一層活躍できるよう祈りたい。
我が家にコタツが出現した。
コタツ自体は以前からあるのだが、夏期は掛け布団を外して机として利用されている。
翌日から寒くなるという天気予報と、寒そうにしている私を見かねてか、父がそれに手を付けてコタツを整備してくれた。
例年、コタツがあるとそこで寝てしまう私だが、今年は大丈夫だろうか。
近所に吉野家ができた。
試しに一家3人で行ってみることになった。
私自身、吉野家は数える気が無くなるくらいには利用しているが、母はテイクアウト以外で利用したことが無いと言う。
どうやら、いわゆる「牛丼」のイメージが強すぎて、定食やカレーがあることを知らずこれまで敬遠していたらしいのだ。
初めての吉野家イートインに年甲斐も無く大はしゃぎする母。
一応、微笑ましい光景ではある。
「これからはお昼は毎日ここでもいいね!」
いや、それは勘弁。
自分の完璧主義とうまく折り合いを付ける方法を発見したので、今日からブログを再開する。
名付けて「私の日記はGMT」。
日付の単位にグリニッジ標準時を用いることで、朝方に前日のことを書くという事態を解消する。
今回で日記に挑むのは都合5度目。
そのうち3度は失敗している。
失敗ごとを繰り返さないよう、今回は3つだけルールを決めた。
誹謗中傷を除き、とにかく思いついたことを書く。
間違ったことを書いても、後で書き直せばいい。
いきなり矛盾しているようだが、「編集段階であまり推敲を重ねない」ということ。
これは言葉通り。
せいぜい15分以内に書き上げるようにする。
今まで日記で失敗してきた教訓が、今度こそ活きることを願って。
林 直音の「私の日記はGMT」、出発。