会社へ診断書を届け忘れていたため、本日は直接持参。
ついでに中央区と文京区の図書館をハシゴする。
所沢のCD蔵書数は都内各区に比べて圧倒的に少ない。
いわゆる「民度」の差だろうか。
それでも各区に特徴があり、文京区は全般に洋楽に強く、中央区は邦楽に強く、そして豊島区は戦後の大衆音楽に強い、ような気がする。
この「目的に応じて行く区を変える」ことができるのも東京の魅力の一つだろう。
1日の最後にPCに向かうと眠れなくなってしまう私が、起きてから前日の記録を残す場所。
会社へ診断書を届け忘れていたため、本日は直接持参。
ついでに中央区と文京区の図書館をハシゴする。
所沢のCD蔵書数は都内各区に比べて圧倒的に少ない。
いわゆる「民度」の差だろうか。
それでも各区に特徴があり、文京区は全般に洋楽に強く、中央区は邦楽に強く、そして豊島区は戦後の大衆音楽に強い、ような気がする。
この「目的に応じて行く区を変える」ことができるのも東京の魅力の一つだろう。
本日はこれまでの分類では分類不可能なバンドを見学に行った。
市民オーケストラとポップスバンドのいいところを混ぜたような、そんなバンド。
今年の演奏会は映画音楽特集だという。
知っている曲も多かったが、知らない曲もまたあった。
聴いたことの無い方がその曲に触れる瞬間こそ、その曲の真価が問われるときではないだろうか。
その意味で、映画音楽はいい音楽が多いと思う。
映画音楽は「聴いたことのない方」をシーンへ引き込むという使命を背負っているからだ。
最近の映画音楽には魅力的なメロディが少なくなったように思う。
緊迫感溢れるシーンでこそ、ドラムやリズムだけでない、何かの聞かせどころだろうに。
筆者ウェブページ「すなおなおと」でも書きましたが、あまりに衝撃的だったのでここにも掲載します。
本日、20代の私は、今後当分の間投票をしないことを宣言します。
統計局がまとめた2008年10月1日の人口推計を参考にすると、20歳以上50歳以下の人口はおよそ51'000'000人、一方51歳以上の人口はおよそ53'000'000人です。
つまり、仮に2008年10月1日に国民投票を実施した場合、51歳以上の人がすべて同じ投票をすると、多数決で勝つのです。
この現実を目の当たりにした私には、選挙で政治を変えられるとはとても信じられません。
遂に私のPCに音楽環境が登場した。
Sibelius 5.1である。
認証の制約がキツく、3台目以降のPCでは保存機能が無効になってしまう上、2台で同時にSibeliusを起動させることはできないようになっている。
それでも楽譜作成を主眼に置きながらMIDIシーケンサとしての機能も立派に果たしているので、かなり活躍してくれそうだ。
考えてみると、昨日パキシルを飲み忘れている。
道理で辛いわけだ。
自律神経が完全に乱れ、発汗、悪寒、四肢の震え、吐き気に苛まれる。
とりあえず目標としていた東京都豊島区の図書館カードを作る。
近隣自治体に住んでいればカードは作れるとのことだった。
東池袋の再開発地区に建った新図書館の設備と蔵書には圧倒されるが、CDに関しては残念ながらそれほどでもない。
しかし、これで東京都区内で合計30点くらいはCDが借りられるようになった。
その後主治医面談。
本日はパキシル切れで非常につらいが、全体としては朝起きて夜寝る生活が維持できているはずだ。
GWにそれを崩さないように注意。
カナダへ留学している後輩が心理学のレポートで高得点を叩き出したというので拝読した。
音楽は生存するために不可欠な要素ではない。
しかし、音楽を聴いた時、脳は食事を摂ったときのような非常に原始的な反応をするという。
とは言え、音楽を「環境に適合した結果、ヒトが普遍的に獲得したもの」と考えられるのかどうか。
この問題について考察した力作だ。
大学在学中の恩師の著書に「文化はヒトが生きるための道具」という表現があったような気がする。
ヒトは非常に未熟な状態で生まれてくる上、狩りをするにも暖を取るにも道具が必要であり、生物的にはかなり不完全だ。
確かに木の実を採集し、暖かい場所を探して動き回れば、道具が無くてもヒトも何とか生存できるだろう。
しかし、恐らくは森を追われて地上に追われた我々の祖先は、道具を使って狩りをし、火を使って暖を取り、衣服を繕い、言語を介して情報を交換して、より確実にその地域で生存するための技術、いわゆる「文化」を身に付けてきたはずだ。
ということは、文化が無くてもヒトは生存できることになる。
その意味では、どこまでが「生存するために不可欠な要素」なのか、それ自体が曖昧である。
また、レポートには「子守唄は普遍的である」という考察がある。
極端なことを言えば、ヒトは胎児のときから母親の鼓動を聴いて育つのだ。
会話にもペースがある。
ヒトの生活には、実はリズム、テンポ、メロディなど、音楽の原型となるものがあふれているのではないだろうか。
以上から、私は直感的に「音楽は文化であり、文化はヒトに不可欠なので、音楽は不可欠である」と考えている。
そもそも「音楽は生存するために不可欠な要素ではない」という主張自体「生存」という言葉を「死なないでいられる」という消極的な意味でしか捉えていないのではないだろうか。
バリ島のケチャやアフリカの民族音楽など、世界には生活に根ざした音楽がたくさんある。
そして、それを彼ら彼女らからとり上げて禁止した場合、彼らは「生存」はしていけるだろうが、これまでどおり「生活」していけるだろうか。
生存権を保障する日本国憲法の条文を借りて「生存」という言葉を「健康で文化的な生活を送る」と考えるなら、やはり「音楽は生存するために不可欠な要素である」のではないだろうか。
思い立って、秩父の羊山公園まで芝桜を見に行くことにした。
池袋から電車で2時間、丘への上り坂を15分ほど登ると。
これは凄い。
すり鉢状になった場所から、両側が芝桜で埋め尽くされた様が見渡せる。
ご覧の通り色もさまざまで、足首くらいまでしかない花の背の低さも相まって、まるで花が織りなす絨毯のようだ。
通り抜けるだけならのんびり歩いても10分かからないのだが、尾瀬の湿原に来た時のようにゆっくりゆっくりと通って芝桜を満喫する。
花の香りもするので、中心に立つと自分が別世界に来たような気分になる。
一口に芝桜と言っても、色だけでなく花びらがパンジーのように大きなものから忘れな草のように可憐なものまで様々だ。
これは比較的花びらが細く、色も穏やかなオータムローズという品種。
この他にも羊山公園には様々な品種があり、
など、様々な品種がある。
もちろん羊山公園には無い品種もあるので、興味のある方は検索してみてはいかがだろうか。
こちらは丘の上からの眺望。
今が満開、日曜日とも重なって人出も多かったが、香りも良く、遅咲きのソメイヨシノが花吹雪のオプションまで付けてくれて、ところどころに八重桜も咲いていて、本当に満喫できた。
さくらソフトクリームも桜餅のようなわずかな刺激があって美味しかった。
これは帰り道の道端。
秩父は「花の里」と銘打つだけあって、道端にも芝桜やスミレ、菜の花などが咲いている。
帰り道までも楽しめるのだから、これで池袋から往復1'500円なら、小さな旅としては最高だと思う。
ボウリングとカラオケを梯子するよりも安いのだから。
もっとも、自然がそれほど好きでない方にまではお勧めできないが。
芝桜の見どころは他にもあるという。
来年はそういった場所にも行ってみようかと思う。
めじから、がんりょく、がん(飛ばす)ちから。
いわゆる「眼光」である。
本日は産業医面談日。
先月に札幌支店へご挨拶に行った際、そのまま支店に置きっぱなしになっていた社員証が手元に戻ってきたので、何の問題もなく施設へ入れるようになったのが最も嬉しい。
これまでは「不所持」という冷酷な扱いをされていたのである。
そして、肝心の診断結果は「まだ眼光が鋭い」つまりまだ躁状態ということだった。
来月までにもう少し薬を減らすことも検討してはどうかとのこと。
まだ躁状態というのは少し悔しい。
先月より大分落ち着いたと思っていたのだが。
悔しいので近くの日本橋図書館まで行って中央区立図書館のカードを作り、CDを借りてきた。
特に"Barry Manilow / Singin' with the Big Bands"は聴くのが楽しみだ。
水曜日はスポーツクラブの定休日。
本日はその近辺にある図書館でポルトガル語の学習。
ついでに、とばかりに本棚を眺めてみたら、面白い本が見つかった。
著者の喜多弘樹は証券会社の本社部門を経験し、長年証券アナリストを務めた人物であるようだ。
タイトルもさることながら、目次の見出しがまた面白い。
特に「相場はこうして作られる」は圧巻だ。
相場操縦は不可能なことであり、それこそ「博打」に敗れた人の遠吠えだと思う方もいらっしゃるかもしれない。
しかし、僅かながら証券業の経験を持つ私には、ここに書いてあることは実現可能だと実感を持って確信できる。
また「新商品には近寄るな」で指摘されているEB(仕組債)の危険性にもうなずける。
EBは株価が下がらない限り大概10%以上の高金利が期待できる債券である。
しかし、株価が上がっても得られる利益はその金利だけ。
一方で株価が下がればたちまち元本割れし、紙くずと化す恐れすらある。
個人投資家からすれば、直接株式を買った方がよほどいい。
株式と同じリスクがあるのに、株式より低いリターンしか期待できないからだ。
ここでは「本当にお客さんのためを考え、儲けさせてくれる証券マン」を「福の神」と表現し、それは「出世欲のない一匹狼」「勘と度胸で銘柄をすすめる」「会社ではなく、個人を売り込む」などのタイプだとしている。
確かに私には出世欲は無いし、勘に近い確信を持って銘柄を勧めてきたと思うし、個人を売り込むことを意識してきたつもりである。
あと私に必要なのは、とにかくお客様との出会いの数を増やすことなのだろう。
喜多弘樹『証券会社にダマされるな!』サンマーク出版、2001年。
本日もスポーツクラブへ。
午前からフィンスイムがあるというので、今回はプールにも行ってみた。
足にゴム製のヒレを付けて泳ぐのだが、これがまあ進む進む。
先生が「魔法のフィン」とおっしゃるのも頷ける。
困ったことと言えば、フィンを外した後にクロールや背泳の速度がガクンと落ちること。
これではフィンなしではやっていけなくなってしまう。
それでもクロール、平泳ぎ、背泳を一通り。
バタフライは筋力不足でまだできないので、今度初心者クラスにでも通って教えてもらおうと思う。
自宅から歩いて30分かからない場所に、スポーツクラブがある。
医師の許可を書面で得てきたので、本日入会した。
身体測定をしていただいたところ、脂肪量は低いものの筋肉量も著しく低い。
見事に「運動未経験者」の体型に当てはまってしまった。
トレーナーの方に全身の筋肉量アップのためのプログラムを組んでいただいた。
「筋肉痛が来なかったら運動不足だと思ってください」
「徹底的に(身体を)イジめてください」
とのことだが、もともと私は高校時代に後輩から「そんなに自分をイジめて楽しいですか?」と言われたことがあるような人間だ。
躊躇うことなく取り組むつもりである。
本日は主治医診察日。
以前は毎週通っていたが、投薬内容がほぼ安定した現在は2週間に1度へと減った。
タイトルにあるとおり、現在では体調を振り返る良い機会となっている。
夜に布団に倒れこむと虚脱感に襲われて薬を飲みに行けず、かといってそのまま寝ると夢の大軍に焼き討ちされて1時間で目覚めてしまうのが最大の悩みだ。
布団に倒れこんだときの虚脱感ごときに敗れ去る自分が情けないが、事実何度も敗れてしまったのだから別の対策を立てるしかない。
とにかく「布団に倒れこむ」ことを予防しよう。
時間ができたので、物見高い根性を発揮して防衛省まで迎撃ミサイル発射装置PAC3を見に行くことにした。
事前準備を何もしていなかったので、市ヶ谷に到着してから散歩がてら、そして桜を見上げがてら、防衛省のまわりを歩き回る。
各門とも厳重警備だったが、最後に行った左内門から見えた。
中央に斜めにそびえる、桜の色にはあまりに似つかわしくない迷彩色の機械が発射装置だ。
プレスの方、一般の方、足を止めて御覧になっている。
外国の方がいらっしゃったのが印象的だった。
最初は、単なる興味本位で足を向けた。
テレビで観てもあれはおもちゃのような、別世界の話のような気がしていた。
しかし、現実に目の前にあった発射装置は紛れもなくミサイルを撃ち落とすためにミサイルを発射する機器であって、平和な国とされている日本にはあるはずのないと思っていたものだった。
あれを目の当たりにしたとき、私は「日本は平和だと言う人は、おしなべてこれを見に来なければならない」と痛感した。
日本には憲法がある。
しかし、誰が何と言おうと、私にはミサイルを吐き出すあの装置が武力でないとは思えない。
あれが戦力でないとは思えない。
日本を守るためにミサイル防衛システムが必要なのだという論調があることくらい、私も承知している。
しかし、あの異様な装置を目の当たりにし、そしてそれがどこかに保管されていたという事実を突き付けられたとき、私は憲法が建前に過ぎないことを「身をもって」実感させられた。
その後母校へ寄ってみると、野球部が練習をしていて、軽音部が仲良くしゃべっている。
でも、その瞬間も市ヶ谷ではミサイルが空を向いている。
涙がこぼれた。
残る段ボールは厄介者ばかり。
昨年引っ越しして以来、札幌で半年生活している間、一度も開かれなかった連中だ。
はっきり言って「日常生活には要らないもの」である。
具体的には高校時代に作られたクラスTシャツなどと、浪人時代に使った参考書とそれの自分なりの解答。
そして小学生時代の作文や中学生時代のプリントなど。
いわゆるメモリアルグッズ。
自分の歴史を物語るアイテムの数々だ。
中でも卒業論文「捕鯨問題と日本人」は当時の持てる力を全て出して書いた力作と自負できるもので、出てきた途端懐かしくて読みふけってしまった。
たった45ページ、行間はダブルスペースというとてもじゃないが大作とは呼べないものだが、30分で読めるその文章の中に、私が捕鯨問題と向き合うときの姿勢が全て書かれている。
ゆくゆくは再び学問の扉を開いて、研究にふけり卒業論文を書いてみたい。
書きたいテーマは既にある。
ただ、それは57歳までに書けばよいものだ。
今は治療と、そしてその後に待っている社会経験を大切にしたい。
本日は家族総出で和室を占拠している段ボール箱を制圧。
目玉の38型プラズマハイビジョンテレビを設置。
重複した台所用品と風呂用具は他人にあげられるものでもないし大半を処分。
段ボール箱を1つ1つ潰していくのが快感となるナチュラルハイモードに突入しつつも、15箱近くを退治した。
ちょうど明日は不燃ごみの日。
今日は入社式の日。
まさかそれがエイプリルフールというわけではないだろうが。
私も昨年の4月1日に社会人になった。
その時の訓示は今でも覚えている。
「みなさんはツイてます。時代は貯蓄から投資へ。そして戦後最長の景気回復。明るい未来が待っています!」
その後の1年間がどんな年であったかは、説明する必要もあるまい。
きっと今年の訓示でも「みなさんはツイてます。100年に1度の金融危機。もうこれ以上下がることはありません。明るい未来が待っています!」とでも演舌をぶたれるのだろう。
それが社会だ。
「こんなことになるとは予想できませんでした」といけしゃあしゃあとのたまうのが社会人。
新社会人のみなさんは、これからそんな連中の間で生きていかなければならない。
人間でもない会社が、人間より偉いはずがないのだ。
会社はキャリアアップの踏み台。
それぐらいの強気でいても大丈夫だ。
新社会人のみなさんが、今後幸せな人生を築いていけますように。