時間ができたので、物見高い根性を発揮して防衛省まで迎撃ミサイル発射装置PAC3を見に行くことにした。
事前準備を何もしていなかったので、市ヶ谷に到着してから散歩がてら、そして桜を見上げがてら、防衛省のまわりを歩き回る。
各門とも厳重警備だったが、最後に行った左内門から見えた。
中央に斜めにそびえる、桜の色にはあまりに似つかわしくない迷彩色の機械が発射装置だ。
プレスの方、一般の方、足を止めて御覧になっている。
外国の方がいらっしゃったのが印象的だった。
最初は、単なる興味本位で足を向けた。
テレビで観てもあれはおもちゃのような、別世界の話のような気がしていた。
しかし、現実に目の前にあった発射装置は紛れもなくミサイルを撃ち落とすためにミサイルを発射する機器であって、平和な国とされている日本にはあるはずのないと思っていたものだった。
あれを目の当たりにしたとき、私は「日本は平和だと言う人は、おしなべてこれを見に来なければならない」と痛感した。
日本には憲法がある。
- 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
- 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
しかし、誰が何と言おうと、私にはミサイルを吐き出すあの装置が武力でないとは思えない。
あれが戦力でないとは思えない。
日本を守るためにミサイル防衛システムが必要なのだという論調があることくらい、私も承知している。
しかし、あの異様な装置を目の当たりにし、そしてそれがどこかに保管されていたという事実を突き付けられたとき、私は憲法が建前に過ぎないことを「身をもって」実感させられた。
その後母校へ寄ってみると、野球部が練習をしていて、軽音部が仲良くしゃべっている。
でも、その瞬間も市ヶ谷ではミサイルが空を向いている。
涙がこぼれた。
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