病気や怪我は療養すれば治る。
だから闘病という言葉は、基本的に不治の病のときにしか使われない。
そう、早く気づくべきだったのだ。
鬱は「不治の病」だと。
だからこそ、闘病という言葉が使われるのだと。
だから、鬱と闘病して治す、という考え方は捨てるべきだと、今の私は思う。
療養して精神状態を安定させ、自分の精神が不安定になるような負荷が何であるかを知り、不安定な状態に陥らないような対象方法を身につける。
ただそれだけのことなのだ。
それを「治す」と呼ぶヒトがいても構わないが、私はこれを治すとは呼ばないと思う。
後天的に障害を負ったヒトが不自由なく社会生活を送れるまでに回復したとしても、それは「治った」とは呼ばないだろう。
それと同じことなのだと思う。
鬱は病気ではない。
後天的な精神障害である。
だから、治ることはない。
しかし、だからと言って今後もう社会生活が送れないわけでは無い。
その制約の中で精一杯生きるのが、私の生きる道なのだ。
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