後輩から、私は哲学的だと評されたことがある。
しかし、私はきちんと哲学を学んだことが無い。
永井均『<子ども>のための哲学』と、ヨースタイン=ゴルデル『ソフィーの世界』くらいしか読んだことは無い。
一体、どんなところを評して哲学的だと思われたのか、今となってはわからない。
ただ、日本人は哲学的であるべきだと思う。
別にイデアは存在するのかとか、ウィトゲンシュタインがどうしたとか、そんなことは考えなくてよいだるう。
そうでは無く、信教の自由が認められ、そして無信教の人々が多い日本においては、哲学は避けて通れないはずだと思うのだ。
宗教に頼らずに世の中のルールを考えるのが哲学だと、私は思っている。
人生の意味。
善悪の基準。
そんな大それたことでなくてもいい。
誰も見ていない赤信号を渡るかどうか。
店員さんと話すときにこちらも誠意を見せるかどうか。
そういったことに自分なりの答えを用意することが、哲学だと思う。
言わば日本語で言う「人生哲学」が、私にとっての哲学だ。
人生哲学はヒトによって違うのが当たり前だから、誰にでも当てはまるとは限らない。
西洋の学問である哲学のように、誰にでも普遍的な真理なんて探す必要は無いと思うし、第一それはどうやって証明できると言うのだろう。
法律に抵触してしまうのは問題だろうが、そうでない範囲で自分の信念を打ち立てること。
それが、私にとっての哲学だ。
そして、宗教に頼らない道を選択したヒトは、そういう信念を持つべきだと思う。
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