2009年3月31日火曜日

メディカルプロブレム!

近所のTIPNESSが3月入会キャンペーンをやっている。

保健師さんから平日の生活時間を勤め人並みにするよう言われているので、平日デイタイム会員にでもなって通ってみようと門戸を叩いた。

しかし!

パニック障害経験者の私は医師の承諾を書面で持ってこないと入会できないらしい。

確かにプールで過呼吸でも起こしたら下手しなくても死ぬだろう。

次回診察の4月8日以降に持ち越しだ。

幸い4月入会キャンペーンも打つらしいので、そのときにまた検討しよう。

2009年3月30日月曜日

REUSE

リユース!

♪くりかえーし つかーおー♪

引っ越しに伴い重複してしまった冷蔵庫と洗濯機は、私の友達がこの4月から新生活を始めるというので引き取ってもらえることになった。

マツダのボンゴバンを借りて、私と友達の2人で冷蔵庫と洗濯機を運び入れ、私の住む所沢から真南にある立川まで運ぶ。

立川までは狭山湖の横道を抜けて1時間。

途中、多摩都市モノレールの下を通る道に入れば後は南下するだけだ。

お届け先は新築のマンションで、まだ共同スペースに養生が施してある。

2人で2つの家電を運び上げるのは少々大変だったが、まあさすがにたった5分で梱包された中身も知れない代物(実際は冷蔵庫だが)を盗んでいく輩もおるまい、ということで2回に分けて運び上げる。

洗濯機の取水栓を取り付けるのに一苦労したが、基本的には問題なく配置完了。

この友達は4月1日から新社会人だ。

その割にベッドが4月5日まで届かないとかガスの開栓が明日だとか、まだ生活できる状況には程遠いのが少々個人的には不安だが、いきなり札幌支店配属だった私とは違うので大丈夫だろう。

家も近いし、今後ともよろしく。

2009年3月29日日曜日

お引っ越し・搬入編。

本日は札幌から荷物が届く予定。

午後2時頃とうかがっていたので、早めに腹ごしらえしようと吉野家へ出かけたところ。

左面に「札幌」と大書されたコンテナ。

これだ、これに間違いない。

実際2時間後、これが自宅前に現れた。

作業はものの40分で済んだが、1階の和室が段ボールに立て篭もられている。

家族総出で開梱できるのは4月2日の見込み。

2009年3月26日木曜日

お引っ越し・出発編。

社宅の引き払いのため、札幌へ行った。

1日で荷物の搬出、ガスの閉栓、不動産屋の立会、支店への挨拶を全て済ませる強行スケジュールだったが、札幌に気軽に来られるほど財布は重くない。

搬出は一部の食器を預け忘れたもののほぼ無事に完了。

搬入は29日を予定している。

不動産屋の立会も問題なく完了した。

支店の上司とも笑顔で別れることができた。

復職したらまたお電話して、復活をご報告するつもりだ。

最後に支店を出た時には粉雪がちらついていた。

思えば、最初に札幌へ赴任してきた日も粉雪が舞っていた。

雪とともに、今回の札幌生活は幕を閉じる。

じゃあね、札幌。

またね、北海道。

2009年3月25日水曜日

減量中。

もちろん体重ではなくクスリである。

本日はいつもの主治医面談。

先週に産業医から「元気すぎる」と告げられたことを報告した。

先生も昨日の記事に書いたAERAの記事についてはご存知だったようだ。

パキシルを30mgから20mgへ減量することになった。

20mgは私が最初に精神科を訪れたときの投薬量である。

この半年、様々な時期を経て、ようやくここまで戻ってきた。

20mgでも1ヶ月問題なく過ごせることを示せれば、復職への道も具体的に見えてくるだろう。

2009年3月24日火曜日

SSRIの攻撃性について。

「AERA 2009年3月30日号」の中づり広告を見て凍りついた。

妻殺害、SSRIなどの文字。

SSRIは私が毎朝飲んでいる「元気になるクスリ」の総称である。

自分の飲んでいるクスリの隣に「妻殺害」などと書かれていては買わざるを得ない。

記事の見出しには「スクープ 『攻撃性』副作用の報告相次ぐ」とある。

記事内にも以下に引用するような文章がずらり。

あらかじめ断っておくが、記事の内容を捻じ曲げるような引用はしていないつもりである。

  1. 「衝撃的だったのは1998年2月に米ワイオミング州で起きた銃乱射事件だ。パキシルを服用した男が、妻と娘、孫の3人を射殺、自らも命を絶った」
  2. 「パキシルの添付文書に(中略)『自殺に関するリスクが増加する』との『警告』」
  3. 「04年4月~08年11月の4年半に製造元4社が提出した副作用報告書は、40例に上った。内訳は、パキシルが断然多く28件」
  4. 「攻撃性を示すSSRIの副作用の症例報告件数を年度別に見ると、05年度が1件、06年度は5件だったが、07年度には26件と急増」

パキシルは同記事によれば「国内の服用者は100万人を超え」とある。

その全部がこのような攻撃性を示すとは考えにくいし、週刊誌の書くことだから少し割り引いて考えるにしても、看過できない内容だ。

言われてみれば、家庭内での私の言葉も最近攻撃的になってきているように思う。

私が気力を取り戻すほどに回復したとも言えるし、パキシルのせいだとは一概に言えないが、実際に3月は口喧嘩が増えた。

いずれにせよ、自省と自制が必要な時期にはさしかかっているのだろう。

辰濃哲郎・今岡洋史「AERA 第22巻15号通巻1157号」『抗うつ剤で「妻を殺害」』朝日新聞出版、2009年3月30日。

2009年3月23日月曜日

セミナー。

母校の高校が同窓生を講師に招いてセミナーを開くということだったので参加してみた。

カンボジアで活動している先輩と、ケニアで社長をしている先輩。

お2人とも「お話を伺いたい」と私が申し出ても忙しくてそれどころではない方々であり、講演を聴けたのは素直に貴重な機会だったと思う。

何らかの挑戦心で活動している諸先輩を見ると、自分も元気づけられる。

2009年3月22日日曜日

『図解 安岡正篤の行動学』

以前、経営者に影響を与えた言葉を集めた本を読んだとき、多くの経営者が挙げていた人物の一人が安岡正篤であった。

恥ずかしながら、私は彼のことを全く知らなかったので、ある程度わかりやすそうな本を探してきた。

安岡正篤(1898-1983)は陽明学の開祖である王陽明について研究した「王陽明研究」を大学卒業時に発表して、陽明学者として名を馳せた。

その後それを実践するために政治家や経営者の教化に努めた人物である。

昭和天皇の玉音放送の草案を推敲したとされ、また本人は黙して語らなかったが「平成」という元号も彼が考えたと言われている。

正直なところ図解は全く役に立たなかったので、本文だけを読んだ。

大学の通常の教科書くらいの難しさなので、少々苦労はしながらも読めないことはないだろう。

全140ページで6章からなり、私の読了時間は2時間。

第1章、第2章、第5章、第6章は比較的面白かったが、第3章と第4章はビジネス書にありがちな「心得の箇条書き」が大量に出てきて正直覚えきれないので諦めた。

要するに陽明学とは「知識を活用して行動に移す」ことを重要視するものであって、そのためには素直な感情を表しつつ静かな心を保ち、物事の原理や原因を知り、物事の変化の方向性を予測し、広い寛容な心を持ち、全体を見通して決断を下すことが必要である。

これでこの本の内容は実質的に十分だ。

ただしかなり端折ったので、興味を持った方には一度パラパラとめくってみることをお勧めする。

武田鏡村『図解 安岡正篤の行動学』東洋経済新報社、2004年。

2009年3月21日土曜日

親の心子知らず。

仕事のヤマを越えた両親と家族会議。

私の発言が癪に障ったらしく、父にかなり怒られてしまった。

開き直りであることを覚悟で書くが、私は親になったことが無いので親の気持ちがわからない。

私の発言が彼をどのような気持ちにさせたのかわからない。

親は常に私の人生の先を行く存在だ。

私が子を持たない限り親の気持ちはわからない。

しかし、そのときに親は祖父母になるわけで、祖父母の気持ちはそのときの私でもわからないだろう。

結局、一生彼らの身になって考えることはできそうにない。

それでも、可能な限り彼らの気持ちには配慮しなければならない。

気をつけるしかないだろう。

2009年3月20日金曜日

音楽の一体感。

二ノ宮知子「のだめカンタービレ」に、主人公の千秋真一が「音に酔う」シーンがある。

全員がいい演奏をしているのに、演奏に必死で誰も千秋様の指揮を見ていないため、演奏がわずかにずれている状態のことだ。

千秋様はそれに耐えられず指揮台で倒れてしまう。

千秋様ほど純真でなくても、かように演奏のズレは気になるものだ。

全員が同じビートを感じていないと演奏者同士での一体感は生まれないし、本当の楽しみも感じられない。

そうならなければ、きっと聴いている方々が楽しくなるための下地は整わないだろう。

2009年3月19日木曜日

元気すぎる。

本日は恒例の産業医面談。

クスリの飲み忘れがない限り、調子は基本的に良い。

また、最近は「自分が無理をしようとしている」「不必要に急いでいる」といったことが自覚できるようになった。

そのため自制はしていたつもりだったのだが、相手はやはりプロ。

「元気すぎる」と見抜かれてしまった。

恐らく抗鬱剤の効き過ぎなのだろう。

来週主治医にかかるときに相談してみようと思う。

2009年3月18日水曜日

アマチュアの宿命?

本日聴きに行ったライヴは、まさに私が陥りたくない罠にはまってしまったライヴだったと思う。

2009年3月1日の記事でも書いたが、自らの演奏技術を見せつけるだけでは、演奏会ではなく発表会だ。

加えて、譜面が無いだのプレイヤーがいないだの礼のタイミングを見失うだの舞台進行が滅茶苦茶。

次の約束があったとは言え、アンコールせずに帰ったのは久々だ。

最大の問題は、演奏から一体感が感じられないこと。

各プレイヤーが出しているビートがずれていて、のだめカンタービレ風に言うなら音に酔いそうになるほど。

アマチュアは、プロと違ってお客様から代金をいただくことが目的ではない。

だからアマチュアビッグバンドのライヴが発表会になってしまうのは、ある程度仕方がないことだ。

しかし、お客様がわざわざ足を運んでくださって聴いていただいている、という意識を見失うことは、アマチュアであろうと許されないように思う。

2009年3月17日火曜日

『会社のことよくわからないまま社会人になった人へ』

最近少しペースが落ちたが、読書は相変わらず続けている。

何せ都心へ出るのに電車で30分以上。

1章くらい軽く読める。

今回読んだこの本は、まさに私のためにある本だと思う。

著者はNHK週刊こどもニュースで長年お父さんキャスターを務め、現在は文筆活動をしている池上彰。

週刊こどもニュースの頃からそうだったが、わかりやすく丁寧な表現が気に入っている。

ページ数の割に1ページあたりの文字数が少ないので、私は合計60分で読破した。

大学で学んだ頃から、私は先頭から本を読むのを止めた。

良い本は、どの章から読んでも面白いようにできている。

だから興味のある章から読んで、それを読み切ってから先頭から読み直せばいい。

これから就職するという方は以下の節が面白いのではないだろうか。

  • 1-2 : 始まりはみんなベンチャーだ
  • 1-3 : 採用試験は会社側も選ばれている
  • 2-2 : 会社の上の組織を見れば、会社の性格も見えてくる
  • 3-4 : 「余人を以て代え難い」では会社はダメになる
  • 4-5 : 労働組合は会社の健康診断をしている
  • 5-1 : 人気企業は成熟しきった会社
  • 5-3 : 「会社員」であっても、会社とはまったく別の世界を持ってほしい

加えて、すでに社会人となった私にも以下の節が面白かった。

  • 1-4 : 社会に役立つ会社かどうかが問われている
  • 3-2 : アメリカの大企業の多くは終身雇用だ
  • 4-1 : 仕事が終わったら、さっさと帰ろう
  • 5-2 : とにかく三年我慢してみよう

春は就職戦線が最前線だ。

面接から帰るときなど、少し気を休めて読んでみるのもいいのではないだろうか。

池上彰『会社のことよくわからないまま社会人になった人へ』海竜社、2005年。

2009年3月16日月曜日

e-Taxようやく。

本日、期限ギリギリだったがe-Taxで確定申告を済ませた。

正確には還付金請求か。

前回失敗した初期登録とやらを行うために、作業をすべてやり直した。

5'000円を手に入れるのに要した苦労は計り知れないが、これも社会経験か。

2009年3月15日日曜日

合唱曲。

本棚から発掘されたのは。

北多摩中学校音楽教育研究会[編]『ニューコーラスフレンズ』教育芸術社、1996年。

いわゆる中学校の合唱で使われる「歌集」である。

しかも20世紀の。

中学時代の自分の書き込みがあって顔から火が出そうになったりしたが、久々に合唱曲に触れた。

中学時代の私はピアノの方がずっと好きだったが、現在では歌も大好きである。

改めて弾きながら歌ってみると、中学時代には見つけられなかった新たな発見があったりする。

  1. 歌詞がこっ恥ずかしい
  2. 基本的に、中学校の合唱曲の歌詞はクサい。

    いい例は芙龍明子作詞「夢の世界を」と浦河堤作詞「風になりたい」か。

    歌詞だけ取り出して読むととてもじゃないがこっ恥ずかしくて読めない。

    中には岩沢千早作詞「遠い日の歌」のようないい曲もあるのだが。

    ところで、私は中学校で歌詞だけを取り出して読んだ記憶がない。

    本来なら気持ちをこめて歌うためにも、歌詞だけを取り出して読み合わせする必要があるように思う。

    この段階であまりにこっ恥ずかしい曲は、やはり歌うときもちょっと恥ずかしいように思う。

  3. 歌詞がいい曲と、音楽としていい曲は違う
  4. 例えば明石潤祐作曲「フェニックス」は音楽としてかっこいいが、歌詞はそれほど作りこまれていない。

    一方、富岡博志作詞作曲「明日へ」は音楽こそありきたりだが、歌詞はとてもよくできている名曲だ。

    新川和江の詩に飯沼信義が曲を付けた「名づけられた葉」はよくできているとは思うが、詩の良さを乗り越えられるほどの力は無いように思う。

    中には谷川俊太郎の詩に木下牧子が曲を付けた「春に」のように、大事な二行をカットして曲を付けるという原作レイプとしか思えない作品もある。

    こうなると、歌詞も音楽もいい曲がベストということになる。

    個人的には谷川俊太郎の詩に大熊崇子が曲を付けた「じゃあね」と、松前幸子作詞・川崎祥悦作曲の「山のいぶき」が大好きである。

  5. 曲の経緯についての情報があまりに少ない
  6. 岡田冨美子作詞・東海林修作曲「怪獣のバラード」は現在では合唱曲の定番だが、もともとはNHKの歌番組で流れていた曲だ。

    大木淳夫作詞・佐藤眞作曲「大地讃頌」はカンタータ「土の歌」の一部で、しかも長二度低い音程に書き直されている。

    荒木とよひさ作詞・三木たかし作曲「心の瞳」や、かぜ耕士作詞・中村八大作曲「涙をこえて」は坂本九の名曲だし、北山修作詞・加藤和彦作曲「あの素晴らしい愛をもう一度」は知っている人なら言わずと知れたフォーククルセイダーズの代表曲である。

    しかし、こういったことは中学校で習った覚えは全くない。

    どれも高校生になってから、知り合いに教えてもらったり自分で調べて知ったことだ。

    これでは原作を尊敬する気持ちや、当時の時代に興味を持つ機会が生まれなくなってしまうのではないかと思う。

別の視点から歌集を見るのも、また面白い。

2009年3月13日金曜日

うつ病とは。

私は、悪い意味で若かった。

自分の限界を知らなかった。

自分の限界がわからないと、好きなことに際限なく手を広げて、どんどん忙しくなっていく。

本人は好きなことをしていて楽しんでいるから、自分の限界なんか見えていない。

しかし客観的に見れば、予定を詰め込みすぎていることぐらい誰が見てもわかる。

そんな状態の人、このブログをご覧の皆様の周りにはいらっしゃらないだろうか。

しかし、肉体的な限界はやってくる。

恐らく、鬱というのはそんなときに身を守るための反応なのだと思う。

鬱とは、好きだったことに対しての興味を失うことで忙しさから身を守り、肉体的な限界を迎える前に身体の状態をクールダウンさせるためのシステムなのではないだろうか。

そう考えれば、忙しい人ほど鬱病になりやすいのも無理のないことだ。

また、肉体的な限界に正直に反応して、無理しすぎることのない人が鬱病とは無縁であることも頷ける。

自分の限界を超えたとき、周囲に掛ける迷惑は計り知れない。

そのことは札幌で救急車で運ばれて、身をもって実感した。

自分の限界を認識し、それを超えないように自分を制御することも、大人であるためには必要なのだろうと思う。

2009年3月12日木曜日

紳士。

私は、紳士でありたい。

一口に紳士と言っても、紳士たるものどうあるべきか、は人によってイメージが違うだろう。

しかし、少なくともこれくらいはできなければならない、という共通認識はあるのではないだろうか。

  1. 感謝の気持ちを忘れない。
  2. ヒトは1人では生きていけない。

    今歩いている道路、身に付けている衣類、持っている鞄、食べているもの、どれをとっても私以外の人が、それも複数の人が関わってようやくできあがったものだ。

    自分にできないことをしていただいたら、それに対しては感謝の念を持つ。

  3. 必要なら躊躇わず助けを借りる。
  4. 繰り返すが、ヒトは1人では生きていけない。

    人数が多ければ、それだけ大きなことを成し遂げることができる。

    自分だけではできないことが、みんなの協力によってできるようになるなら、そしてそれをすることがみんなの利益につながるなら、助けを借りることは決して恥ではない。

  5. 将来まで思いを馳せる。
  6. 自分の行動がどんな結果をもたらすか。

    その結果、自分や他の人々がどんな気持ちになるか。

    自分が推測できる範囲には限界があるが、少なくとも全くそれらを考慮しない人は紳士とは言えないように思う。

  7. 自分の利害と権利義務を意識する。
  8. それでも最後は、自分が生き続けることを優先せねばならないときもある。

    他人と利害が衝突するときは、相手のことを念頭に置きつつも、自分のことも意識していなければ他人に利用されるだけであって、紳士であり続けることは難しい。

  9. 成長する。
  10. 興味を持ったことを吸収し、自分ができることを広げる。

    より豊かな人生を送るためには必須の条件だろう。

こんなところだろうか。

紳士への道のりは長い。

それでも、私は紳士でありたい。

2009年3月11日水曜日

珍しく雑記。

まとまったことは無かったが小さなことはいろいろあった日。

午前中はe-Taxに再度挑戦。

Windows環境ではCUIを使わなければならない事態も起こらず、一括でツールはインストールできた。

ただし、国税庁のホームページには確認事項として「Internet Explorerを使用している」ことが利用条件と書いてある。

愛用のChromeを閉じて、このPCでは初めてIEを開き作業開始。

途中まで順調だったが、最後の最後で「初期登録が完了していません」という原因不明の一言で切り捨てられた。

午後から診察があるので再挑戦する余裕はなく、今回も断念。

本当に本気で普及させる気があるのだろうか。

午後はいつもの診察。

池袋と診療所の間を往復。

山手線が使えなくても往復45分歩けば診察は受けられる。

クスリを切らした日以外は体調も良い。

しかし泊まりのある旅行はまだ控えた方がよいだろうとのアドバイス。

実際、ソビエトロシアでなくても薬が睡眠時間の私を決定しているような現状では、泊まりがけは難しいだろう。

帰り道に猫と出会う。

目つきは少々悪いが人に愛されているのだろう、門に近づいたところその上に飛び乗ってきた。

そっと手をかざすと匂いと味を確認された上で接触を許可してくれた。

午前のことはこれで忘れられる。

そんな一日。

2009年3月9日月曜日

投薬状況。

現在の投薬について書き忘れたので、改めて書いている。

現在服用している薬は3種類。

朝にメインとなるSSRI型抗鬱剤パキシルを30mg、就寝前には睡眠剤ロヒプノールを2mgと、睡眠の質を安定させることも兼ねて眠気の副作用が強い抗鬱剤レスリンを100mg。

パキシルの服用を忘れるとその夜は焦燥感に駆られて何度も目覚め、睡眠が取れなくなる。

また、ロヒプノールとレスリンを服用せずに就寝すると深い眠りに入ることができず、何度も目を覚ます羽目になる。

いずれの場合も身体の疲れも精神の疲れも抜けずに焦燥感だけが残るため、非常に辛い。

この辛い瞬間を迎えると、自分が病人であることを再自覚させられる。

本日も疲れて帰宅してそのまま寝てしまったため断続的に目覚めている。

自業自得とは言えやはり辛い。

自分が生きているのではなく、薬に生かされているような気すらしてくる。

残念ながら、最悪の体調のまま異動に伴う転居の相談をしなければならなくなりそうだ。

2009年3月7日土曜日

現状整理。

最近、東京での活動が少し活発になってきたこともあり、これまでの足跡を振り返る必要が出てきたように思う。

簡単に整理してみたい。

4月

入社。札幌支店への配属を通達される。

東京での研修期間中に10人弱の知り合いをつくる。

札幌到着日、機上から海を越えて北海道の大地が見えたとき、本州を飛び出したということを痛感。

更に到着後市内へ向かうバスでは窓の外を小雪が舞い、地の果てを連想させる。

5月

本格的に営業活動を開始。

電話も掛けられず苦悩する日々。

物件も決定して一人暮らしも始まる。

自分の根城を手に入れたことに浮かれて38型プラズマフルハイビジョンテレビを衝動買いする。

6月

初めての新規公開株営業。

お客様へのご案内に徹する必要性を痛感。

支店での親睦行事としてゴルフに参加。

1週間前に同期の同僚のクラブを借りて練習場で少し球を打った後、前日にゴルフクラブを購入し、試し振りもしないまま当日コースへ乗り込むという暴挙に出る。

当然記録は175打とボロボロ。

7月

環境関連銘柄の公募増資営業。

自らが関心を持つ業種とあって全力を挙げる。

札幌は冬になると外出ができないと判断し、自転車で市内各地を回りながら営業を続ける。

往復3時間くらいなら苦にはならない。

8月

これといった記憶がない。

訪問営業がうまく行かず悩むが、電話営業の方法をほぼ確立。

この時期から一人暮らしに綻びが現れ、朝食はコンビニおにぎり、昼食も夜食も外食、という生活に。

9月

睡眠障害発生。午前3時には目が覚め、そのまま眠れないという症状が上旬から続く。

疲れがうまく取れない状態のまま仕事を続けた結果、18日の朝に意識を失って自宅で倒れ、心配して自宅まで見に来てくださった上司が私を発見、救急車で搬送される。

うつ病によるパニック障害が引き起こした過呼吸と診断されるが、この事件が引き金となって会社へ行けなくなる。

投薬治療開始。

10月

両親が札幌を訪問、支店との三者面談の結果、実家療養が必要とのことになり帰省する。

これまで6ヶ月間にわたる全力全壊のオーバードライブモードがたたり、帰省後も睡眠障害が抜けないなど、緊張が常に維持された状態が続く。

11月

このブログ「私の日記はGMT」を開始。

眠くなって当然の投薬を受けながら全く眠気を感じない日々が続く。

主治医の判断で強力な睡眠薬を使用することになるが、それでも日中は活動できてしまうほど。

12月

先月処方された薬の副作用で薬疹が現れ、服用を断念。

眠りがうまく取れないままの生活が続く。

1月

新年を迎え、ようやく心のエンジンが諦めたのか、気持ちがある程度穏やかになる。

みんなで楽しめるもの、をコンセプトにしてお年玉を選んだ結果、WiiFitを購入。

見事に母と私がハマり、運動する習慣ができる。

2月

睡眠時間こそまだ不確定だが、心には余裕が出てくる。

会社とはどういうものなのか、自分の性格の特徴は何か、などを考えるようになる。

3月

辞令発令、札幌支店への復職という路線は無くなる。

ただいま引っ越しに備え部屋の整理中。

こうして見ると、発病後はいろいろありながらもある程度順調に推移しているようにも見える。

営業を、つまりは仕事をしたい気持ちは今でも変わらないが、おそらくその気持ちに急きたてられて復職してしまうと、また私は倒れてしまうだろう。

主治医の先生などとも相談しながら、焦らずに復職へ向けて進んでいきたい。

2009年3月6日金曜日

Sa parlare italiano?

高校時代の同期が大学院修了記念に友達とイタリアへ出かけるらしい。

1年間だけだが私もイタリア語を勉強したことがあるので、基本単語を教えてきた。

学校で習う表現と、旅行で使う表現は違うことが多い。

旅行では「わかりません」などの方が「名前は直音です」「はじめまして」よりは重要である。

旅行で必要になりそうな表現をちょっと一覧にしてみる。

  • ごめんなさい。
  • お願いします。
  • ありがとう。
  • わかりません。
  • (ものを探しながら)持っていますけど……
  • 「これ」は(イタリア語で)何と言いますか?
  • (地図を見せながら)ここはどこですか?
  • (値段)高!
  • 忘れました。
  • したいんです。
  • 欲しいんです。
  • しなきゃいけないんです。

こんなところだろうか。

旅行に行けるまとまった時間を取れるのは学生のうちくらいだろう。

楽しく安全な旅行になるよう願うばかりだ。

2009年3月5日木曜日

異動。

本日3月5日(木)付で、札幌支店から本社への移動が発令された。

名実ともに首都圏の人間となる予定。

これに伴い引っ越しなどで少々忙しくなりそうだが、包み隠すことなく東京で活動できるのは嬉しいことだ。

札幌には知り合いも少なかったし、情報交換も簡単にはできなかったことを考えれば、東京はやはりいい。

東京方面の知り合いのみなさん、今後ともよろしくお願いします。

2009年3月4日水曜日

人生の目標。

どうやら、私の人生目標は社会と密接にかかわっているようだ。

私の人生目標はかなり単純である。

「私が生まれたときと比べて、私が死ぬときの社会の方が良いものになるようにしたい」

また、私には「自分が生きている間に社会がどう変わっていくのか見てみたい」という願望もある。

良い社会とはどんな社会かはまた別の問題として考えるとして、このように私の人生目標や願望には社会という言葉が入っている。

自分の利害と他人の利害が衝突してしまう場合は、自分の願望を実現するために自分の利害をある程度優先せざるを得ないだろうが、そうでない限りは自分の目標に照らして、自分と他人の共通の利益を追求していきたい。

夢物語かもしれないが、それが私の生きる意味だと思う。

2009年3月2日月曜日

伊豆小旅行。

思い立って、伊豆半島まで桜を見に行ってみることにした。

早咲きの桜というと河津が有名なようだ。

当初はそれを見に行く予定だったが、どうもWebで調べた限りでは2月の暖かさでもう散り始めているらしい。

河津への行き方を考えているときに手に入れたJRのパンフレットによると、下田にも早咲きの桜があるという。

こちらは菜の花畑もあるというので、こちらへ行ってみることにしたところ。

南伊豆町・日野の菜の花畑

一面の菜の花畑。

花粉症が非常に煩わしかったが、香りを吸い込んでここで昼食。

近くではテレビ静岡のリポーターが取材をしていた。

取材を受けている方も観光客だったようだが「お忍びだから」と笑いながらも答えていらっしゃった。

ここからミナミノサクラの桜並木までシャトルバスが運行していると聞いていたのだが、残念ながらこれは土日のみの運行だったので歩いて行ってみることに。

少しして川沿いに桜が見えてきたが、やはり半分以上が葉になっている。

しかし、花は目の高さから身の丈の倍程度の高さについている。

首の疲れない花見はなかなか良い。

南伊豆町・下賀茂の足湯「湯の花」

しばらく歩くと下賀茂温泉の足湯があった。

先客でいらっしゃった地元の方と少しお話して、足湯で少し休む。

この方はふもとの弓ヶ浜から1時間程かけて、よくここまで足を運ぶと仰っていた。

「行きは大変、でも帰りはとても足が軽くなる」と笑顔を浮かべていらっしゃった。

千石船をあしらった石廊崎・下田間遊覧船

ここからは石廊崎まで一気に移動。

下田に着いたときに、石廊崎から下田まで海から伊豆半島を眺められるという遊覧船のチケットを持っている。

しかし車が入ることのできる石廊崎のふもとから、灯台のある岬までの山道は往復で40分ほどかかるという。

船の運航時間には間に合わなくなってしまうので、石廊崎から太平洋を眺めるのは断念。

江戸時代の千石船をあしらった船で、潮の香りに包まれて下田へ戻る。

河津桜

帰路、河津で途中下車。

まだ駅前には少し満開の株が残っていた。

そう言えば、往路に河津を通ったときはたくさんの方が降りて行かれた。

JRの河津桜宣伝でいらっしゃったのか、以前からこの時期を楽しみにしていらっしゃるのかはわからないが、そのときのイメージが強く、河津は結構混んでいると思っていた。

しかし時間も夕方だったからか、もう人もそれほどおらず、のんびりと見て回ることができた。

復路ではさらに熱海で途中下車して海の幸をいただく。

帰宅は23時半になってしまったが、ボリュームたっぷりの旅だった。

このブログを書くのに必死で思い出さなければならないほど。

鈍行列車で行ったからか思ったほどお金もかからなかったし、またこうして旅をしてみたい。

2009年3月1日日曜日

楽しむジャズ。

本日、とあるビッグバンドジャズの演奏会があり、聴きに行った。

ジャズは元々、軍楽隊で楽器を与えられた黒人がアメリカで始めたと言われている。

民俗音楽は総じてそうだが、基本的には「演奏者が一番楽しい」のが音楽だ。

ジャズはその傾向が特に顕著で、演奏している人、あるいは演奏した経験のある人はとても楽しいが、それ以外の人にはクラシック音楽とあまり変わらない、敷居の高い音楽と考えられがちである。

恐らくその差は、一体感の得やすさと関連があると思う。

演奏者や経験者は、そうでない人に比べて演奏に聴き入る、つまり一緒に演奏しているような気分になるのが難しいのではないだろうか。

音楽を楽しむ一番の方法は、この一体感を得ることだと思う。

演奏者はその一体感をお客様に感じてもらえるように、最大限の努力をすべきだろうとも思う。

ジャズではよく「自分たちが楽しくなければ、聴いている人は楽しくなれない」と言う。

これは確かだと思う。

だが「自分たちが楽しければ、聴いている人も楽しくなれる」とは言い切れないとも思う。

むしろ「自分たちが一体感を持たなければ、聴いている人も一体感は持てない」というのがより正しいのではないだろうか。

自分たちが一体感を感じたときは、自分たちが楽しさを感じる瞬間でもあると思うからだ。

それをお客様と共有した瞬間が、理想の一瞬だろうと思う。

自分たちの演奏の凄さを見せつけるだけでは、演奏会ではなく発表会だ。

どうすればお客様と一緒に楽しめるのか。

答えはきっと、その中にある。