私は、悪い意味で若かった。
自分の限界を知らなかった。
自分の限界がわからないと、好きなことに際限なく手を広げて、どんどん忙しくなっていく。
本人は好きなことをしていて楽しんでいるから、自分の限界なんか見えていない。
しかし客観的に見れば、予定を詰め込みすぎていることぐらい誰が見てもわかる。
そんな状態の人、このブログをご覧の皆様の周りにはいらっしゃらないだろうか。
しかし、肉体的な限界はやってくる。
恐らく、鬱というのはそんなときに身を守るための反応なのだと思う。
鬱とは、好きだったことに対しての興味を失うことで忙しさから身を守り、肉体的な限界を迎える前に身体の状態をクールダウンさせるためのシステムなのではないだろうか。
そう考えれば、忙しい人ほど鬱病になりやすいのも無理のないことだ。
また、肉体的な限界に正直に反応して、無理しすぎることのない人が鬱病とは無縁であることも頷ける。
自分の限界を超えたとき、周囲に掛ける迷惑は計り知れない。
そのことは札幌で救急車で運ばれて、身をもって実感した。
自分の限界を認識し、それを超えないように自分を制御することも、大人であるためには必要なのだろうと思う。
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