私の周囲で、偶然にもこの話題が多くなっている。
「やりたいからやる」と「やらなければならないからやる」について。
日本語だと長いので、英語で「I want to do」と「I have to do」とでも表現しよう。
私にとって、「I have to do」は気をつけなければならない言葉のひとつだ。
この言葉にどれほど苦しんできたことだろう。
あるときは、自分で勝手に「I have to do」と思い込んで。
あるときは、他人から「You have to do」と言われて。
そしてあるときは、ヒトですらない会社やら社会から「You have to do」と要求されて。
私の耐久力が低かったことも原因にはあるだろうが、とにかく、そうやって私の人生を一時的にも潰した言葉である。
今でも、気を緩めるとすぐに「治らなければならない」という強迫感と闘う羽目になる。
だから、今では私は「I have to do」を「I want to do」で塗り替える技術を身につけよう、と思っている。
ここまで辿り着くのには半年かかった。
何せ最初は「塗り替えなければならない」と、やっぱり「I have to do」な思考をしていたのだ。
「やらなければならない」を「やった方が自分にとって良いに決まってる」を経て「自らやろう」と思うようになるには、劇的な性格改造が必要だ。
現に、アタマではこう思っていても、すぐ「やらないといけない」というように「I have to do」で物事を捉えている自分がここにいる。
周囲の環境は、もう決められている。
相手の性格、会社の性質、社会の体質は、自分の都合のいいようには覆せない。
だから、その与えられた環境の中で、どんな行動が今の自分に、未来の自分に、まとめて言えば自分の人生にとって最もプラスになるのか。
そう考えれば、「I have to do」の裏側にある「I want to do」の糸口は見つけられるはずだ。
時には、どう考えても「I have to do」の中から「I want to do」が見出せないときもあるはずだ。
考えたくはないが、もし不正や犯罪を指示されたら「I have to do」と「But I do not want to do」の間の溝は埋められないだろう。
そのとき、「I have to do」から逃れる手段はあるだろうか。
原点に立ち戻って、与えられた環境の中で、どんな行動が自分の人生にとって最もプラスになるのか、を冷静に考えるしかないだろう。
その結果「I do not do」を選択して、その社会から叩き出されることもあり得る。
でも、社会のために自分を悪に染めるくらいなら、自分の人生の方が大事だ。
今の私は、そう思えるくらいには成長した、はずだ。
大人になるということは「I have to do」と「I want to do」の擦り合わせがうまくできるようになる、ということでもあるのかも知れない。
0 件のコメント:
コメントを投稿