5歳年下の後輩がいる。
相手が私をどう扱っているかはわからないが、私は腹を割って話せる親友だと思っている。
その親友が持ち出した話は、私を恐怖に染め上げた。
Webは、危険だ。
これまで漠然と「どんな人にも自分のことを知られてしまう」ことには恐怖を感じていたが、もっと根本的な危険がある。
このまま行くと、Webは私に処理不可能なほど大量の情報を流し込み、私は情報の取捨選択ができないまでに追い込まれる。
これまでの経験から言うと、そういう状態に陥るとヒトは情報を精査しなくなる。
何せ、1つの情報を精査している間に、10件の新しい情報が流れ込んでくるかも知れないのだ。
そうなれば、ある程度盲目的に情報を信じ込むしかない。
つまり「情報に踊らされる」時代がやってくる。
誰かがぼそっと「銀行が潰れる」と言えば、そうなる。
その銀行が本当は潰れそうになくても、後からどんなに頑張って誰かが「潰れません!」と叫んでも、動き出したら止まらない。
そんな時代がやってくるかも知れないというのだ。
それは、ヒトが自我を保っていられない社会と言えるだろう。
自分の考えを形成して保持することが非現実的なほど困難な社会。
だからといって多くの人が自我を放棄すれば、やってくるのはヒトが他人に流される社会だ。
自分流の生き方など望むべくもない。
ここまで考えが辿り着き、私は言いようのない恐怖に襲われた。
更に、私がこれまで考えてきた市場社会と資本主義を導入すると。
Webは際限なく拡大して、最後には世界全体を席巻する。
資本主義はより効率的に資本を集めるために、市場をWeb上で拡大していくからだ。
一見、誰でも、いつでも、どこでも、どんなものでも手に入るようになり、便利な時代に見えるのが更に厄介だ。
地理的な制約を受けないWebは、宇宙ステーションをも射程に収めるかも知れない。
社会は、気が付いたときには独裁制になっているかも知れない。
考え過ぎだろうか。
答えはきっと、私の生きているうちには明らかになる。
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