2009年5月18日月曜日

Want to do? Have to do?

私の周囲で、偶然にもこの話題が多くなっている。

「やりたいからやる」と「やらなければならないからやる」について。

日本語だと長いので、英語で「I want to do」と「I have to do」とでも表現しよう。

私にとって、「I have to do」は気をつけなければならない言葉のひとつだ。

この言葉にどれほど苦しんできたことだろう。

あるときは、自分で勝手に「I have to do」と思い込んで。

あるときは、他人から「You have to do」と言われて。

そしてあるときは、ヒトですらない会社やら社会から「You have to do」と要求されて。

私の耐久力が低かったことも原因にはあるだろうが、とにかく、そうやって私の人生を一時的にも潰した言葉である。

今でも、気を緩めるとすぐに「治らなければならない」という強迫感と闘う羽目になる。

だから、今では私は「I have to do」を「I want to do」で塗り替える技術を身につけよう、と思っている。

ここまで辿り着くのには半年かかった。

何せ最初は「塗り替えなければならない」と、やっぱり「I have to do」な思考をしていたのだ。

「やらなければならない」を「やった方が自分にとって良いに決まってる」を経て「自らやろう」と思うようになるには、劇的な性格改造が必要だ。

現に、アタマではこう思っていても、すぐ「やらないといけない」というように「I have to do」で物事を捉えている自分がここにいる。

周囲の環境は、もう決められている。

相手の性格、会社の性質、社会の体質は、自分の都合のいいようには覆せない。

だから、その与えられた環境の中で、どんな行動が今の自分に、未来の自分に、まとめて言えば自分の人生にとって最もプラスになるのか。

そう考えれば、「I have to do」の裏側にある「I want to do」の糸口は見つけられるはずだ。

時には、どう考えても「I have to do」の中から「I want to do」が見出せないときもあるはずだ。

考えたくはないが、もし不正や犯罪を指示されたら「I have to do」と「But I do not want to do」の間の溝は埋められないだろう。

そのとき、「I have to do」から逃れる手段はあるだろうか。

原点に立ち戻って、与えられた環境の中で、どんな行動が自分の人生にとって最もプラスになるのか、を冷静に考えるしかないだろう。

その結果「I do not do」を選択して、その社会から叩き出されることもあり得る。

でも、社会のために自分を悪に染めるくらいなら、自分の人生の方が大事だ。

今の私は、そう思えるくらいには成長した、はずだ。

大人になるということは「I have to do」と「I want to do」の擦り合わせがうまくできるようになる、ということでもあるのかも知れない。

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