2008年12月31日水曜日

2008年。

2008年が暮れようとしている。

この記事をご覧の皆様にとって、今年はどんな年だっただろうか。

私にとって、今年は激動の1年だった。

卒業論文を書いた1月。

初恋が終わった2月。

大学を卒業し、仲間としばしの別れを惜しんだ3月。

新社会人の一歩を踏み出し、新たな仲間を得た4月。

札幌での独り暮らしが始まった5月。

初の債券営業の機会を上手く活かせなかった6月。

PO(株式公募)のご案内に命を懸けた7月。

営業の方法が確立できず苦しめられた8月。

パニック障害で倒れた9月。

両親曰く「別人のようになって」実家へ戻った10月。

心のエンジンが回りっぱなしで、投薬量だけが増えていった11月。

ようやく旧友や後輩と会って話ができる状態まで回復した12月。

昨年の今頃、こんな1年になると誰が想像できただろうか。

たくさんの人と会って。

いろいろな事に苦しんで。

さまざまな楽しみを探して。

明日からは、2009年。

何かが変わる気がする、新年。

何も変わらずに訪れる、明日。

去年今年 貫く棒の 如きもの

高浜 虚子

それでも、何かを変えていきたい。

来年が皆様にとって、そして私にとってもいい年になるよう、行動することを誓います。

2008年12月30日火曜日

お年玉。

私には兄弟姉妹がいないし、従兄弟姉妹も全員年上である。

従って社会人になったところで、お年玉を渡す立場には無い。

しかし、折角社会人にもなったことだし「家族みんなで楽しめる」を基準に何か買い物をしてみようと思い立った。

その結果。

我が家にWiiFitがやってきた。

Wii本体も無いので、セットで購入。

最大の課題は、果たして父母がちゃんと使ってくれるかどうか。

2008年12月29日月曜日

久々の過換気、未遂。

本日、風呂場で久々に過換気を起こしかけた。

しのぐ方法は身についてきたが、何らかの原因があると突発的にやって来る。

私が救急搬送された9月18日から、札幌を離れた10月8日までおよそ3週間。

この間、私の状態を左右し続けたのは、皮肉なことに心配してくれる支店の方々だった。

パニック障害とウツ状態にはある程度の関連がある。

パニック障害に振り回された9月18日のことはあまり良く覚えていないが、その翌日の19日に出社できなかったときに感じた自分の必要性、あるいは存在意義の希薄さは非常に良く覚えている。

自分の不甲斐なさ。

自分への情けなさ。

同じ仕事をしている同期への申し訳ない気持ち。

期待を寄せてくれて、仕事の楽しさを教えてくれた先輩方や上司への申し訳ない気持ち。

自分が今でも生きている理由なんて無いのではないかと、ウツウツと考えていた。

それでも心配して我が家までやって来る同期や先輩、上司に対しては気丈に振る舞うしかなかった。

ウツウツと考えていることが、相手にとっては取るに足らない問題だとわかっていたから。

だからなおのこと、支店の人々は何故私が出社できないのかわからなかったと思う。

頻繁に訪れてくれる同期に対して、申し訳なくて、でも放っておいて欲しくて、それでも気にかけて欲しくて。

そんなないまぜな気持ちを声に出して叫びたくて、でもそれはただの八つ当たりな気がして、それをプライドで隠して気丈に振る舞って。

結果的に私のウツ状態は、悪化していった。

と、そんなことを風呂で考えていたら、過換気になりかけてしまったのだ。

私の場合、非常に匂いに敏感になるという予兆があり、シャンプーの香りが妙に強く感じられたので未然に防ぐことができた。

もし風呂場で倒れたら、正直なところ生きていられる保証はない。

隣には呼吸不可能な空間が拡がっているのだから。

考えても仕方のないこと。

それでも考えてしまうこと。

風呂はちょっと不思議な世界かも知れない。

2008年12月28日日曜日

フィギュアスケートとピアノ。

フィギュアスケートの浅田真央選手が飛ぶ鳥落とす勢いだ。

グランプリファイナル優勝に続き全日本選手権3連覇も達成。

民放ではデビュー当時の映像も盛んに流されるので、それと対比すると素人の私でさえ随分成長したことがうかがえる。

フィギュアスケートは根本的な部分がピアノやクラシック音楽に近いと思う。

再現すべき予定のプログラムがあって、それを忠実に実行してアピールする。

フィギュアスケートもクラシック音楽も、そのコンペティションからは「最後は自分との闘い」という雰囲気がする。

そのせいもあってか、私はシングル、ペア、アイスダンスなどどれを取っても男女を問わずフィギュアスケートが好きだ。

もっとも最近は4回転サルコウやら3回転アクセル2回やら、どうも曲芸と化している雰囲気もあるが。

なお、そう言いながら私はサルコウとフリップとルッツの違いもわからない素人である。

それに比べれば、ピアノは鍵盤を叩けば音が鳴る非常に簡単な楽器だ。

管楽器のように唇の筋肉が疲れたりや息切れを起こす心配も無いし、弦楽器のように音程を厳しく問われる世界でもない。

フィギュアが好きな皆さん、この機会に浅田真央選手のショートプログラム演目「月の光」や、鈴木明子選手のフリースケーティング演目「黒い瞳」などに目標を定めてピアノを始めてみるのも一興ではないでしょうか。

2008年12月27日土曜日

歩数計に、合掌。

何と投稿予定のウィンドウを消されてしまった。

時刻を思い出して改めて書くことにする。

残念ながら歩数計は遂に接触不良となり、電池を残して機能停止に陥った。

冥福を祈る他にない。

明日には新しい歩数計が手に入る予定だが、記録は参考記録とせざるを得ないだろう。

我が家には庭がないので墓標を建てるわけにはいかない。

そもそも生分解プラスチックでもないのでそんなことをしたら環境破壊につながる。

使える部品はちりがみ交換屋さんに有効活用して頂こう。

2008年12月26日金曜日

第2回東京散歩。

一昨日の診察の際、休職に必要な来月分の診断書を頂くことをすっかり失念していた。

本日はその回収のために再び東京へ。

冬晴れながら風が吹き荒れ冷たい一日だったが、事前情報に基づき防寒装備だったので問題なし。

むしろ積極的なウォーキングをしたため身体は温まる一方。

具体的には池袋駅から大塚駅まで20分ほど歩き、更に大塚駅前からバスに乗って白山二丁目で降りた後、東大植物園の横手の峠を越えて東洋大学まで歩いた。

合計12'000歩。

ついでにここで一句。

寒風に たよりて送る 診断書

2008年12月25日木曜日

歩数計の創造的破壊について。

昨日から歩数計の調子がおかしい。

遂に昨夜には動かなくなり、電池切れの可能性を父に指摘されたので電池交換に挑んだ。

が。

我が家の最小のドライバーでもネジが回らない。

遂に電池を覆う金属カバーを止めているネジ頭が潰れてしまい、交換は不可能に。

仕方がないので金属カバーをペンチでねじ切って交換、という前世代的手術を断行。

交換後はやはりペンチで金属カバーを接触させた。

それでも一応無事に動いているあたり、むしろ不気味だ。

ちなみにその後、父の歩数計も電池不足で停止し、彼は私の屍を乗り越えて精密ドライバーを購入、無事に交換を完了した。

腹いせに、彼には新しくスティック式の歩数計を買っていただく予定。

2008年12月24日水曜日

投薬量、初の減少。

本日は2週間ぶりの通院日。

先々週に産業医の先生が仰ったことを伝え、現況についても報告。

最近では日中の眠気が強くなった。

緊張の緩みがようやく始まったのに対して、緊張状態にあった頃の薬が処方されているため、緊張と薬効のバランスが崩れているような気がしている。

急性のパニック障害がほとんど鳴りを潜めたこともあって、抗不安薬の処方が停止された。

入眠時間によってかなり翌日の調子がぶれることもあり、他の薬については現状維持となったが、それが安定すれば中間型睡眠薬も削減対象となる見込みだ。

快方への兆しととらえ、明るい正月を迎えたい。

2008年12月23日火曜日

未来と自分は、変えられる?

本日も自分のWebサイト"That Pure Sound"の手直しや図書館通いと、いつもの日々。

本ブログでは2回目となる、詩でお茶濁しの回。

又聞きの又聞きだが「過去と他人は変えられない」という格言を受けて。

きのうの自分に、さよなら。

さっきの自分に、バイバイ。

今の自分に、じゃあね。

次の自分に、それじゃ。

この瞬間の自分は、嫌いだから。

次の瞬間の自分も、同じだから。

前の自分と別れて、

今の自分とも離れて、

次の自分の前も通り過ぎて、

未来の自分に、おはよう。

でも、未来の自分って、誰だろう。

今度の自分は、もう通り過ぎた。

明日の自分も、もう通り越した。

未来の自分は、その先にいる、自分。

今とは違って、

今とは違っててほしい、

未来の自分。

今とは違って、

今とは違ってなきゃいけない、

未来の自分。

今度の自分を通り越すような自分に、

そんな未来の自分なんているのかな。

明日の自分を通り越したんだから、

明後日の自分も、追い越したと思う。

明後日の自分さえ追い越したんだから、

その次の日の自分も、もう前にはいないと思う。

そんな自分には、あるのかさえも判らない、未来。

そんな自分にも、きっと勝手にやってくる、未来。

いてほしい、未来の自分。

いなきゃおかしい、未来の自分。

そんな自分に、おはよう。

そんな未来に、こんにちは。

でも、そんな自分は、いるのかな。

でも、そんな未来は、あるのかな。

だいじょうぶ。

自分が変われば、未来は変わる。

今日の自分と明日の自分が、全く同じなはずはない。

そんな明日の自分の前を、同じだと思って通り過ぎても。

未来は、変わっている。

自分は、変わっている。

2008年12月22日月曜日

池袋散策。

少し前から、信頼のおける人々には休職&実家療養中という私の近況を伝え始めている。

何か私について尋ねられたら「アタマの調子が悪くなったらしい」と答えるようにお願いしている。

実際、パニック障害や睡眠障害は脳内の化学物質のコントロールが利かない状態なのだから、この表現で問題はない。

万一「アタマが悪くなったらしい」と受け止められても、「ココロが病んでいるらしい」と受け取られるよりは遥かにマシである。

本日は私の近況を知った人々の一人からお誘いいただき、池袋で少し遊んできた。

ビリヤードやら太鼓の達人やら、恐らく4月の入社以来一度もやっていないであろう、懐かしい大学時代の遊び方で。

おかげでいい気分転換もできたし、歩数も9'000歩を超えた。

付き合っていただき、本当に感謝している。

一度会って話をすれば、大体の方には私のこれまでの経緯や現況、問題点などは伝えられると思う。

どうか「ココロが病んでいる」とは考えず、「アタマが悪くなった」程度の気持ちでお誘いいただければ幸いだ。

2008年12月21日日曜日

That Pure Sound

前々から作りたかった自分のサイトを作り始めた。

父からWebページに関する質問を受けた場合の実験も兼ねている。

まだリンク先の無い見出しばかりで未完成なのがありありだが、少しずつ内容を深めていけたら幸いだ。

私の語学と数学、そして大好きな音楽についてほとばしる思いをぶつける掃き溜め「That Pure Sound」、出発。

That Pure Sound

http://linzhiyin.hearts-music.jp/

2008年12月20日土曜日

忘れもの。

本日もいつものごとく図書館通い。

しかし本日は読書内容をまとめるためのノートを置いていったため、着いたところですることがない。

近くのコンビニで日経新聞を買ってきて読み、少し経済の本を物色して終了。

歩数は図書館通いのおかげで常に8'000歩前後を維持できるようになってきたが、雨の日は途端に3'000歩台にとどまるなど、まだまだ課題も多い。

年明けからはジムにでも行ってみようか検討中。

2008年12月19日金曜日

菌類のふしぎ。

父が自分の音楽教室で、生徒さんのお一人から国立科学博物館の特別展「菌類のふしぎ」を勧められたらしい。

私の外出不足も手伝って、本日は父と上野まで出撃。

率直に言って、面白い。

落書きが。

おそらく特別展に関わった職員の方による公式落書きと思われるものが随所にあり、なかなか見つかりにくいところにあったりして私の好奇心をくすぐってくる。

一部抜粋してご紹介したい。

  1. きもちわるいねー
  2. このコーナー、一番人気が無いそうです
  3. 逆だっ
  4. 裏です
  5. 本気で押せばうごくぞ
  6. やるなおまえっ
  7. 共生しなーい?

さあ、行きたくなったあなた。

1月12日までに上野公園の国立科学博物館へGO!

マンガ「もやしもん」の影響か、学生やカップルも多く気軽に楽しめるぞ!

その「もやしもん」のガチャポンもあるぞ!

「もやしもん」の原画コーナーもあるぞ!

何と年始は1月2日から醸してくれるぞ!

入館料は¥1'300。

あ。

書き忘れていたが、菌類と細菌の違い、藻類とよく一緒にいる地衣類という菌類、光るキノコなど、展示物も興味深い。

いもち病など、菌類が関わる病気のコーナーがなかなか印象的。

おなじみのシイタケ、マツタケ、ホンシメジ、ブナシメジもいるぞ。

マツタケの匂いもかげるぞ。

キクラゲなら触れるぞ。

ただし持ち運び厳禁。

2008年12月18日木曜日

はたらくあたま。

本日はお日柄もよく、歩いて15分ほどの図書館まで通ういつもの日々。

特に書くことも無いので、詩でも書いてお茶を濁すことにする。

もしひとつだけ、

世界に向かって断言できることがあるとするならば、

風呂に体を沈めていく途中の、

尻が浴槽に着く一瞬の一秒間、

私は何も考えていないと断言できる。

いつも余計なことばかり考えて、

いつも余計なことばかり考えているってことも考えて、

考えに考えて、

こんがらがってる頭だけど、

その一瞬だけは、

何も考えていない。

それでも、

それぞれの細胞が湯に浸かっていくことを伝えてきて、

温度を伝えてきて、

質感を伝えてきて、

もういいって言っても伝えてきて、

やっぱり、頭は働いている。

考えてはいないと断言できるけど、働いている。

頭は働いている。

何も考えていないけど。

2008年12月17日水曜日

ブログ+SNS、整理。

少し時間があったので、プロフィールやハンドルネーム、アドレスなどを含めて、このブログとSNSを整理した。

もっとも苦労したのはプロフィール。

好きな音楽が多すぎる。

クラシックから演歌まで、日本語や英語から中国語やポルトガル語まで、もはや垣根は「ピアノでメロディが弾けない」ジャンルであるラップとヒップホップくらいしか無い。

目指すは人間ジュークボックス。

SNSの整理に合わせて、SNSでの活動も始めてみようかと考えているが、これは新年を迎えてから考えることにしよう。

2008年12月16日火曜日

After Five in December 24th!

昨日の昼食は図書館に行く途上にあるモスバーガー。

「X'MOS」と題して大々的にクリスマスキャンペーンを展開している。

そのため店内はクリスマス・ソングに毒されている。

それを聞きながらふと思いついたので、クリスマス・ソング・メドレーを作ってみることにした。

現在伝統的なクリスマス・ソングからポップスまで20曲を収録したが、まだまだ私の知らない曲も多いだろう。

「やっぱりクリスマスはこの曲がないと始まらないよね!」という曲を思いついた方、どしどしコメント下さい。

今年のクリスマスにはさすがに間に合わないので、来年中にアレンジメントを完成させる予定。

2008年12月15日月曜日

なまり色の雪だるま

突如イメージが降って湧いたので、歌詞を書いた。

タイトル「なまり色の雪だるま」、メロディを付ければ私もシンガーソングライターの仲間入りか。

コンセプトは雪と雪だるまと恋。

白い雪、降り積もったくすんだ雪、溶けていく雪などを、恋の始まり、別れ、思い出などに引っ掛けてみた。

永遠に世に問われることのない遺作となるだろう。

2008年12月14日日曜日

特別便、来たる。

私のもとにも遂にやって来た。

ねんきん特別便である。

中身であるが、正直なところ非常に面倒だ。

届かないという可能性を排除するため、全員に返信を求めるのは理解できる。

しかし、社会保険庁とて私の名前や生年月日くらい把握しているはずだ。

返信用フォームに名前、生年月日、住所を直筆で書き直させる必要がどこにあるのか。

全部ワープロで記載しておいて「記載に間違いございませんか?」の質問に「はい」か「いいえ」で回答し「いいえ」となった人のみ必要な部分だけ訂正させる、という体裁で何ら問題は無いはずだ。

返信用封筒も明らかに返信用フォームが入らないサイズで、とにかく「お役所仕事」な雰囲気で充ち満ちている。

私のように年金に加入してから日が浅い者は、まだ手計算でも年金加入記録を確認できるが、そうでない方はその確認だけで更に労力を要するわけで、まったくもって面倒だ。

民間の仕事を経験した人間として、この体たらくが許されるということ自体が理解しがたい。

2008年12月13日土曜日

図書館通い。

よくよく考えてみたら、現在は住民票もこちらへ移り、名実共に所沢市民と化した私。

隣町の入間市でも、図書館カードは作れるはずだ。

そう両親に指摘され、本日は昨日同様の図書館通いに加えてカードも作成、早速数冊を借りてきた。

返却期限が年末年始の休館日に重なるため、今日から貸出冊数が5冊から10冊に増やされたという。

しかしいくら何でもいきなり10冊読めるはずもなく、まずは3冊から。

明日は予報では雨とのこと。

晴耕雨読と洒落こもうか。

2008年12月12日金曜日

隣町の図書館。

先日の本社出頭時に、人事部の方から運動不足を指摘された。

かと言って歩数計を付けているなどと自慢げに語るのも躊躇われる。

この鬱屈した気分を晴らすべく、本日は隣町の図書館まで足を伸ばすことにした。

途中に新聞の自動販売機もあり、公園遊歩道のような道もあってなかなか快適なルートだ。

図書館自体の設備は学習机などもあってこちらの方が良いのだが、児童書のコーナーが充実しているため時として児童の叫び声が響き渡るという難点もある。

幼稚園が終わるまでに退館するなど、何か回避策もあるだろう。

天気が良ければ、明日も出掛ける予定。

2008年12月11日木曜日

東京散歩。

本日は毎月定例の本社出頭日。

日本橋まではるばる出掛けると、さすがに歩数も伸びる。

祝・10'000歩連続突破。

と、これではさすがに昨日の横流しなのが一目瞭然なので、もう少し詳しく書いてみる。

本社では産業医の先生の診察と、人事部の方との面談がある。

産業医の先生は私が薬疹を出したベゲタミンにかなり驚いた様子。

ベゲタミンは通常の睡眠薬の3倍近い強さを誇り、日本以外ではほとんど認可されていない。

日本はおろか世界最強とも言える睡眠薬なのである。

含有成分のフェノバルビタールによる薬疹も、絶対出ないとは言えないものの出るケースは稀なので処方されたのだろうし、私自身の不眠が相当頑固であったのも原因なのだが、その辺りは産業医の先生からすれば知ったことでは無いだろう。

薬の処方について一度主治医の先生と話し合ってみるように勧められてしまった。

次回出頭は1月15日の予定。

2008年12月10日水曜日

10'000歩、突破。

本日は水曜定例の診察日。

大塚まではるばる出掛けると、さすがに歩数も伸びる。

祝・10'000歩初突破。

2008年12月9日火曜日

第11外国語。

プロフィールにも少し書いたが、私は大学時代外国語に没頭した。

具体的には英、仏、アラビア、独、中、西、韓、露、ラテン、伊の10ヶ国語を学んだ。

もちろん、今となってはほとんど話せない。

しかしここには重要な言語が入っていない。

ボサ・ノヴァで必須となるポルトガル語が無いのである。

ということで、第11外国語として最近勉強を始めた。

語末のlがウになったり、アクセントの無いoもウになったりと少々発音が厄介だが、スペイン語で苦労させられた発音が出せればほぼ問題なく発音できるので、後は暗記の問題になりそうだ。

来年中にボサ・ノヴァ習得、も目標に加えよう。

2008年12月8日月曜日

散歩、再開。

ようやく歩ける程度まで薬疹が回復した。

本日より散歩を再開。

昼食を車で5分行ったところにある松屋で母と摂った。

ちなみに母、先日の吉野家に続き松屋デビューである。

その後、私は郵便局を経由して徒歩で帰宅。

記録は約7'500歩。

今後も続けていければよいのだが。

やはり肥満への最高の対策は運動である。

2008年12月7日日曜日

河原の夢。

本日は荒川河川敷にて焼き芋イベント。

の予定だったが、薬疹のため断念。無念。

久しぶりに高校時代の友人に会えると思っていただけに、非常に残念だ。

あまり外出も出来ず、歩数も3'000歩前後と低い。

ここ数日が良い天気だっただけに残念だ。

赤みはようやく退いてきたが、完治まではもう少しかかるだろう。

2008年12月6日土曜日

『裁判官の爆笑お言葉集』

薬疹が治まらず4日目に突入。

やはり3週間かかって出てきたものを3日で押さえ込むのは無理がある模様。

完治まではまだ時間がかかりそうだ。

静養するしか無い私のところへ、母が以前から私が読みたいと言っていた本を図書館から借りてきてくれた。

その名も「裁判官の爆笑お言葉集」。

著者は2005年の衆議院選挙の際に同時に行われた最高裁判所裁判官国民審査にあたり、対象となった裁判官6名の略歴や判決骨子をまとめたサイト「忘れられた一票」を立ち上げた長峰超輝。

見開きの右半分は裁判官のお言葉が大きく書かれていて、左側に軽く解説が加えられている程度なので、本をじっくり読み込むタイプの私でも2時間で読破できてしまうお手軽な一冊だ。

  1. 控訴し、別の裁判所の判断を仰ぐことを勧める。
  2. また机のところで頭打つぞ。
  3. この前から聞いてると、あなた、切迫感ないんですよ。
  4. 犬のうんこですら肥料になるのに、君たちは何の役にも立たない産業廃棄物以下じゃないか。
  5. 次回公判までに反省文を提出しなさい。
  6. 傘の先端が尖っている必要があるのかどうか、皆さんも考えてみてください。
  7. 現在は反省しており、むかし悪いことをした人には見えない。

などなど、名言が目白押し。

この正月に、ちょっとみかんを食べながら目を通してみてはいかがだろうか。

長嶺 超輝「幻冬舎新書 031」『裁判官の爆笑お言葉集』幻冬舎、2007年。

2008年12月5日金曜日

薬疹、3日目。

薬疹も今日で3日目になる。

さすがに昨日に比べ格段に良くなってきているが、まだ随所に真っ赤な部分が残っている。

本日を痒み知らずで過ごせますように。

2008年12月4日木曜日

薬疹、発現。

発疹が急速に悪化し、頭のてっぺんから足のつま先までくまなく真っ赤になってしまった。

やむを得ず通っている精神科へ連絡したところ、薬の副作用の疑いがあるという。

母の運転で駅まで送迎してもらい、父が連れ添ってくれて、大塚の精神科まで行った。

私は3週間前からベゲタミンという薬を処方されている。

これにはフェノバルビタールという成分が含まれているのだが、これが稀に全身に発疹を引き起こすらしい。

副作用の発現までに3~4週間かかる症例もいくつか報告されているという。

ベゲタミン自体はかなり強力な睡眠薬で、これの服用を始めて以来不眠に悩まされることがなくなっていただけに、このような結果につながってしまったのは非常に残念だ。

現在も全身を走る痒みに悩まされ、2時間おきに目が覚めてしまう有様。

さすがに相手が薬では家族もどうしようもなく、家族には迷惑を掛けっ放しで非常に肩身が狭い。

不眠が無くなっても全身真っ赤で痒いのでは本末転倒だ。

ベゲタミンは服用停止、改めて抗アレルギー剤を処方していただいた。

1週間以内には収まるというが、できることなら翌日にでも消えていてほしい。

2008年12月3日水曜日

全身に発疹。

全身に発疹が出て悩まされている。

耐えられるレベルだが、やはり痒い。

特に耳が真っ赤に腫れ、絶えず放熱をしているような状態だ。

別段原因も思い当たらないため家族も困惑している様子。

しばらく静養しか無いだろうか。

2008年12月2日火曜日

住民票、異動。

実家での療養生活が長引くにつれ「札幌からいらっしゃったのですか?」という質問を受けて説明に困るケースが増えた。

そこで人事部承認のもと、住民票ごと一旦札幌を引き払うことになった。

先週転出届願いを郵送したところ昨日届いたので、今日は早速それを市役所へ。

あわせて隣にある警察署で免許の住所を裏書更新した。

もはや両親とは生計が一でないため、表札上は問題ないが我々も二世帯住宅になったことになる。

名実ともに「帰ってきた」気がする。

じっくり休養し、早い快復を待ちたい。

2008年12月1日月曜日

アラフォー、グーー?

ふと思い立って過去の受賞作品を見てみたが、世俗に疎いことも手伝って見事に知らない言葉ばかりが並んでいる。

どうやら私は「読者の皆様とは違う」ようだ。

さすがに昨年の受賞作品程度なら「ああ、あったな」とは思うが、それから一年が過ぎた今、もはやこれらの言葉も「名ばかり流行語」と成り果てているような気さえする。

一番気になるのは「アラフォー」か。

私はバブルがはじけた頃に生まれ、失われた15年とともに育ってきた。

受賞者コメントの「これからも素敵に、派手に」という言葉には、何とも言えない違和感を覚える。

確か2000年前後にも、バブル時代に若者だった30代は消費のターゲットとして注目を浴びていた。

ITバブル時代に起業した人々の多くもこの世代だったように思う。

きっとこの世代は10年経っても20年経っても大量消費の牽引役で居続けて、高級日用品から嗜好品まで企業業績に貢献していくのだろう。

大量消費社会から循環型社会への転換が叫ばれて久しいが、その実現は難しいのかも知れない。

2008年11月30日日曜日

法事について。

私の祖父が逝去してから早一年が経とうとしている。

本日は法事。

人は法事に何を求めているのだろうか。

死者とともに過ごした過去を思い出し、忘れ去らないためだろうか。

逆に過去から良い思い出として綺麗な記憶だけを選別し、他の記憶を整理するためだろうか。

「過去の人」になるのは辛いことだ。

生きていても死んでいても、それは同じだと思う。

せめて、法事はその人を「過去の人」にしないための行事だと思いたい。

2008年11月29日土曜日

歩数計、活動中。

少し前に歩数計を買ったことは、既に書いた通り。

最近、よく両親から肥えたと言われる。

もともと、療養というのは食事を摂って休んでいる、つまりいわゆる「食っちゃ寝」の生活を送っているわけで、体重が増加するのも無理もない話だ。

拒食症などの神経症は別だが、原則として鬱タイプの神経症はそういう理由から肥満になりやすいと聞く。

そんな自分の怠惰さを戒めるべく買った腕時計兼歩数計を腕に巻き、本日は昼食がてら父と散歩に出掛け、少し遠くにある松屋まで往復。

最終的に本日の記録は6'000歩を超えた。

着実にオジンクサさを増していく我が人生。

2008年11月28日金曜日

やってしまった。

誠に申し訳ないことに。

夜更かししてしまった。

ExcelをいじっているうちにINDEX関数やOFFSET関数を使ってデータを引き出す手法にはまりこんでしまったのだ。

元々の性格も手伝っているだろうが、抗うつ薬も重なってか全く疲れ知らずで27時まで作業してしまった。

さすがに朝方に両親から苦言を呈された。

確かにこれでは休養も何もあったものではない。

「明日に回す」ことも、まともな社会人になるためには大切なのだろう。

2008年11月27日木曜日

衣服、購入。

着る物が、無い。

実家での療養がこれほど長期に及ぶとは全く思っていなかった私は、2日分くらいの衣服しか持って来なかったのだ。

さすがに洗濯が滞るとあっという間に着る服が無くなるため、今日は買い物に出かけた。

久々にパーカー2着、タートルネックのセーター1着、ジーンズ1着、靴下3足、Tシャツ2着と大量の買い物をした。

値段が張るが、この際仕方が無い。

今日から装いも新たに散歩に出かけたい、のだが。

あいにく所沢は雨模様。

2008年11月26日水曜日

歩数計、購入。

というわけで昨日の日記を受けて、歩数計を買ってきた。

丁度ゴツい腕時計しかなかったので、カジュアルな腕時計タイプ。

お医者様のところで起動したのでその帰路しかカウントされていないが、それでも既に4'000歩近い値を出している。

ちょっとだけ、明日が楽しみになる器械かもしれない。

これからは晴れた日は散歩に出掛けよう。

2008年11月25日火曜日

体重、増加?

最近、太り始めたような気がする。

もともと抗うつ薬は交感神経を活発化させるので、食欲が増しやすい。

まして今までしていた自転車営業をしなくなったとなれば、太るのも道理だ。

軽い運動を組み込んだ日課プログラムを組んだが、これが何日続けられるのやら。

いっそ父のように歩数計を買おうか。

2008年11月24日月曜日

ことばの選び方。

昨晩、言葉の遣い方について父に進言したところ、かなり彼を不機嫌にさせてしまった。

しかし集客に注力するという文面で「せいぜい」を使うのはやはり変だ。

そこはかとなく投げやりなイメージを感じる。

私自身、以前「わざわざ」と言うべきところを「いちいち」と言ってしまい、かなり相手を不機嫌にしてしまった経験がある。

結論。

言葉選びは慎重に。

2008年11月23日日曜日

薬効について。

先日、服用薬が変更されたことを書いたが、これがなかなか強力だ。

飲んでからは13時間は効果が持続してしまう。

中途覚醒は鳴りを潜めたが、これでは本末転倒だ。

何か対策を考えないと。

2008年11月22日土曜日

さんぽ。

父が散歩に出るというので、新聞を買いがてら付いていった。

私は日経新聞を1週間に5日分だけ取っている。

営業日は最長でも月間22日しか無いので、月極で配達してもらうよりも安い。

買いに行くのは面倒ではあるが、いい散歩にもなる。

今日は買い物には出掛けない。

何をしようか、ゆっくり考えよう。

2008年11月21日金曜日

父、主治医に掛かる。

父が医者に掛かると言うので、外出がてら付いていった。

以前東京都北区に住んでいたことのある我々は、東京都文京区白山に掛かり付けの医師がいる。

所沢市へ引っ越してしまった現在でも、診てもらうことがしばしばある。

父によれば、本日は薬が足りなくなるため補充に行ったとのこと。

私も池袋の東急ハンズで鞄を少しだけカジュアルなものに買い換えて気分転換。

この布製のバッグを携えて、明日も散歩に出掛けよう。

2008年11月20日木曜日

指編み、始まる。

指編みの練習を始めた。

音楽が好きな私だが、逆に音をほとんど立てない編み物や刺繍などの手芸も私は気に入っている。

かつては学校の裁縫でクラス最高点をマークしたこともあった。

しかし指編みはなかなか難しい。

ようやく指リリアン編みはできるようになったが、連続した指鎖編みはまだできない。

いずれはこれでピアノ柄のマフラーを編むのが、私の目標の一つ。

2008年11月19日水曜日

投薬、変更。

本日は恒例の主治医受診。

以前に書いたように産業医の先生が仰ったことも伝え、今後について話していただいた。

投薬量の調整として睡眠薬が一つ追加された。

おかげさまで夜間は目を覚まさなかった。

が、朝になっても目は覚めなかった。

正確には午前7時には目覚め、雨戸を開けたりしていたのだが、あまりの寒さでコタツに潜り込んだのが運の尽きで、そのまま二度寝してしまったのだ。

実際、睡眠薬がまだ残っている感覚が強く、なかなか頭がスッキリしない。

そうこうしている間に、本日もブログの更新期限を過ぎてしまった。

今後もこの調子が続くようでは、一日のうち半分はぼーっとしている計算になる。

それ自体は休養としては良いことなのかも知れないが。

2008年11月18日火曜日

ウェブページ、完成。

ウェブページが遂に完成した。

苦節4週間。日によっては朝食後から夕食前まで通して、PCの前でカタカタとデザイン調整をする日もあった。

ポピュラーミュージックに興味のある方、Web1.0がどこまでできるのかご覧になりたい方、その他興味の無い方も、是非一度ご覧あれ。

2008年11月17日月曜日

眠りの浅さ。

本日は眠りが非常に浅い。

ほぼ1時間~2時間おきに目を覚ます有様。

おかげさまで当然のことながら疲労もほとんど取れていない。

お医者様からロヒプノール2mgというなかなか強力な中間型睡眠薬をいただいているはずなのだが。

お医者様は「(いつでも)眠くなったら休んで良い」と仰ってくださったが、昼間も眠気が持続し、やることが無くなると頻繁に昼寝をしてしまうことが悪影響を及ぼしているのかも知れない。

先日書いた通り、服用薬の変更を考えるべきなのかも知れない。

主治医のお医者様には明後日に診ていただく予定だ。

2008年11月16日日曜日

夢見の悪さ。

夢見が悪いことは以前にも書いたが、今日は格別悪かった。

舞台は来年4月の職場。

復帰して間もない私は完全に仕事に取り残されている。

自らの業務に忙殺され、私を気に掛ける余裕の無い同期や先輩。

あんた一体この一年間何をやってたんだ、と蔑んだ視線を送ってくる後輩。

目の前のPCは頻繁にフリーズを繰り返す。

職場と言っても以前の職場と違い、窓ガラスに向かってPCが置いてある近代的なビルだったので心配は無いとは思うが。

まさか正夢か。

2008年11月15日土曜日

休養の一日。

何かをするための第一歩が踏み出せなくなってきた。

第一歩を踏み出す気力がなかなか出ない。

布団から出るだけにもエネルギーを絞り出さなければならず、今日は半日布団から出られなかった。

この「気力が足りない」のは鬱病の典型的症状である。

ただ、主治医が仰るには「緊張が解けた状態」になると何もする気が起きなくなるらしいので、そう考えるなら「何かしなければならない」という強迫観念からの脱却が始まったという良い兆候なのかも知れない。

しかし「何かしたいのにそれをやるための第一歩がエネルギー不足で踏み出せない」というのは少々応える。

そんなエネルギー不足の自分に嫌気がさしたら本当に鬱病へ転落だ。

今は休養中、それでいいんだ、という意識だけは持ち続けなければならない。

少々疲れたが、本日の記録はこれにて終了。

やはり今まで感じたことの無いエネルギー不足感に苛まれつつ。

2008年11月14日金曜日

ながら作業。

私はながら作業ができない。

ひとつの作業に集中してしまい、他がおろそかになってしまうのだ。

関連している作業を並行させることならまだしも、まったく無関係なテレビを見ながら他の作業をするといったことは不可能である。

今朝は先日書いたカナダ在住の後輩とスカイプで電話していたため、記録を付けるのが遅れてしまった。

これで2日連続の期限切れである。

早くも先行き不透明なこの日記。

果たしていつまで続けられるのか。

2008年11月13日木曜日

会社へ行く。

本日は記録を付けるのを完全に忘れていた。

既に日本時間では夜である。

しかし本日は重要な記録事項があるので、投稿日時をいじってでも記録しておくことにする。

本日は会社の健康管理室と本社人事部を訪問。

1ヶ月間の経過を報告した。

睡眠中、未明に目を覚まさずに済んだ日は2日しか無い。

この睡眠障害、どうやら私が考えていたよりも深刻な問題であるようだ。

確かに睡眠の質が悪いためか、身体の疲れはなかなか取れない。

加えて昼間には強力な眠気に襲われ、集中が切れると電池が切れたかのように眠り込んでしまう。

このままでは月曜から金曜まで働き続けることは難しいだろう。

睡眠からいつ目覚めるかは身体のメカニズムが決定しており、気の持ちようで解決できるものでは無いらしい。

投薬を調整して一旦強引にでもメカニズムを変更し、ぐっすり眠る環境を整えなければならないようだ。

復職まで早くてもあと3ヶ月はかかるだろう、というのが健康管理室の診断だった。

年内復帰は絶望的、同期との差も開く一方だが、この期に及んで四の五の言っても仕方がない。

今は休養と治療を最優先に掲げ、3ヶ月後に万全の態勢が築けるようにすることが第一だ。

2008年11月12日水曜日

近況報告。

以前の私の境遇を知っている方の中には、ひょっとしたらこのブログを読んで「ん?」と思っている方もいるかも知れない。

私は4月に新入社員として証券会社へ入社し、今は札幌支店に所属しているはずだから、所沢の実家にいる家族と同居しているはずは無いのだ。

実は、2ヶ月ほど前にパニック障害に伴う過換気症候群という病気を患い、現在実家で静養中なのである。

今となって考えてみれば、8月頃から身体の疲れが抜けないままの出社が多くなり、9月には午前3時頃に目を覚ます中途覚醒が目立ち、気力の減退も著しかったので、鬱(鬱病とは言わないまでも鬱状態)にもなっていたような気がする。

そんな中で、同期より先に倒れるわけには行かないという恐怖感から勤務を続け、状況を悪化させてしまった結果があの過換気だったのではないだろうか。

何せ最初の発作の時は自分では何もできなくなってうずくまってしまい、出社しない私を心配して様子を見に来て下さった上司のおかげで救急搬送していただいた有様だったのだ。

パニック障害は、突発的な動悸や息切れ、息切れに伴う酸素欠乏感、それによる過換気(息の吸いすぎ)と、その結果血中phがアルカリ性に傾くために起こる身体の痺れなど、嵐のような身体の不調が突然やってくる病気である。

その他にも視界がモノクロになったかのようになって暗くなる、香水などの匂いに異常に敏感になるなど、様々な変化が起こる。

パニック障害にせよ鬱状態にせよ、どうもセロトニンやノルアドレナリンなど脳内の神経伝達物質がストレスなどによって乱れた結果生じるらしく、ただの「気の持ちよう」でかかるものでも無いようだ。

そのため、薬によってこれらの物質の量を調整することで治療する方法が一般的らしい。

現在でもいくつか、パニック障害の引き金となるものがある。

  1. 出社時刻だった午前6:30が近づいてくるとき
  2. いつの間にか自宅で一人になっているように感じたとき
  3. 混雑していたり、非常に耳障りな方と乗り合わせたとき
  4. 予想していなかった場所で訪問営業に出くわしたとき
  5. その他、突発的に息が苦しくなるとき

その他にも、今でも倒れた9月18日のことを思い出すと無意識に手が震えるなど、正常とは言えない状態が続いている。

特に酷いのは中途覚醒で、必ずといってよいほど午前3時頃に一旦パチリと目が覚める。

夢見も悪く、身体の疲れもあまり取れていない。

こんな状態なので、先月から父の知り合いだという精神科のお医者様のもとへ通っている。

未だに「自らの緊張を解きほぐす」ことがうまくできていないことが根本的な原因であるようだ。

明日は会社の産業医との面談が控えている。

今後の私の扱いも、そこでの私の回復具合によってある程度決まってくるのだろう。

パニック発作などの急性的な症状はあまり起こらなくなったが、慢性的な症状は未だに続いている。

私に下される判断は、果たして。

2008年11月11日火曜日

寝過ごした。

7日坊主。

起きた時間が9:00では、GMTで日記を書いても当日の日記にはならない。

現在11時(GMTで翌日2時)だが、誠に申し訳ないものの私の完璧主義の叫びに従い、8:59(GMT23:59)に書いたものとして登録させていただく。

中学・高校と同じだった、腐れ縁の友人と会ってきた。

精神神経科医への通院に関しては私の大先輩に当たる人物である。

何せ私の1ヶ月に対して、相手は3年というツワモノだ。

私が取り出した本に載っている抗鬱薬や抗不安薬、睡眠薬のほとんどを知っている。

3年かかって未だに回復していないのは、どうやら自宅が休まらない環境にあるからではないか、と私は見ている。

鬱状態とは簡単に言えば「動く気力が足りない状態」である。

それが深刻な場合、本来はじっくりと気の休まる環境で休養し、動く気力を充電しなければならない。

しかし自宅が気の休まる環境では無ければ、なかなか鬱状態からは抜け出せないだろう。

きっと周囲の人間も、鬱に陥った人間に対してどう接すればよいのか戸惑っているのだろう。

その答えが見つけられないうちに、3年の歳月が経ってしまったのではないだろうか。

私の一家は相手の母親についても知っている。

鬱状態の人間への接し方に関して伝えることで、微力ながら力になってあげられればよいのだが。

2008年11月10日月曜日

久々の寝起き。

起きたら午前5時だった。

気持ちの良い目覚め。

9月以来、午前3時前後に覚醒してしまう日々がずっと続いていたので、非常に嬉しい。

ようやく緊張が解けてきたのかも知れない。

明日は、果たして。

2008年11月9日日曜日

久々の一日。

久々に全力を出して全力で眠った。

11月に入って以来、毎日のように悪夢にうなされ、午前3時前後に起きてしまうケースが多かったのだが、今日は(やはり2時過ぎに目覚めてはしまったものの)特に夢などを見ることも無く眠ることができたように思う。

回復へ向けて少しでも前進している証だと思いたい。

明日もまた、ホームページ作りに勤しむ。

2008年11月8日土曜日

カナダとスカイプ。

タイトルはジャズ・ナンバー"Stompin' at the Savoy"「サヴォイでストンプ」より。

本日は先日からメールで連絡を取っていたカナダへ留学している後輩とSkypeで1時間半ほど話した。

向こうとの時差は14時間。

私がもう午後10時になっているというのに、相手は起きぬけの午前8時。

そこから2時間弱を使ってしまったので私が翌朝起きられるか少々不安だったが、何とか問題なく起きられたようだ。

相手は高校時代の後輩。

最初に知り合ったのはもう8年近く前になる。

その頃を考えると、現在は流暢な英文を書いてメールを出してくるし、彼女曰く日本からの「脱国」という環境の変化もあってか随分と明るくなった。

環境の変化に適応できず実家へ戻って静養している私としては羨ましい限りである。

今後も彼女が一層活躍できるよう祈りたい。

2008年11月7日金曜日

コタツ、導入。

我が家にコタツが出現した。

コタツ自体は以前からあるのだが、夏期は掛け布団を外して机として利用されている。

翌日から寒くなるという天気予報と、寒そうにしている私を見かねてか、父がそれに手を付けてコタツを整備してくれた。

例年、コタツがあるとそこで寝てしまう私だが、今年は大丈夫だろうか。

2008年11月6日木曜日

母、吉野家へ行く。

近所に吉野家ができた。

試しに一家3人で行ってみることになった。

私自身、吉野家は数える気が無くなるくらいには利用しているが、母はテイクアウト以外で利用したことが無いと言う。

どうやら、いわゆる「牛丼」のイメージが強すぎて、定食やカレーがあることを知らずこれまで敬遠していたらしいのだ。

初めての吉野家イートインに年甲斐も無く大はしゃぎする母。

一応、微笑ましい光景ではある。

「これからはお昼は毎日ここでもいいね!」

いや、それは勘弁。

2008年11月5日水曜日

ブログ、はじまる。

自分の完璧主義とうまく折り合いを付ける方法を発見したので、今日からブログを再開する。

名付けて「私の日記はGMT」。

日付の単位にグリニッジ標準時を用いることで、朝方に前日のことを書くという事態を解消する。

今回で日記に挑むのは都合5度目。

そのうち3度は失敗している。

失敗ごとを繰り返さないよう、今回は3つだけルールを決めた。

  1. 思ったら書く。
  2. 書き直さない。
  3. 長く書かない。
  1. 思ったら書く。

    誹謗中傷を除き、とにかく思いついたことを書く。

    間違ったことを書いても、後で書き直せばいい。

  2. 書き直さない。

    いきなり矛盾しているようだが、「編集段階であまり推敲を重ねない」ということ。

  3. 長く書かない。

    これは言葉通り。

    せいぜい15分以内に書き上げるようにする。

今まで日記で失敗してきた教訓が、今度こそ活きることを願って。

林 直音の「私の日記はGMT」、出発。