2009年6月20日土曜日

哲学的

後輩から、私は哲学的だと評されたことがある。

しかし、私はきちんと哲学を学んだことが無い。

永井均『<子ども>のための哲学』と、ヨースタイン=ゴルデル『ソフィーの世界』くらいしか読んだことは無い。

一体、どんなところを評して哲学的だと思われたのか、今となってはわからない。

ただ、日本人は哲学的であるべきだと思う。

別にイデアは存在するのかとか、ウィトゲンシュタインがどうしたとか、そんなことは考えなくてよいだるう。

そうでは無く、信教の自由が認められ、そして無信教の人々が多い日本においては、哲学は避けて通れないはずだと思うのだ。

宗教に頼らずに世の中のルールを考えるのが哲学だと、私は思っている。

人生の意味。

善悪の基準。

そんな大それたことでなくてもいい。

誰も見ていない赤信号を渡るかどうか。

店員さんと話すときにこちらも誠意を見せるかどうか。

そういったことに自分なりの答えを用意することが、哲学だと思う。

言わば日本語で言う「人生哲学」が、私にとっての哲学だ。

人生哲学はヒトによって違うのが当たり前だから、誰にでも当てはまるとは限らない。

西洋の学問である哲学のように、誰にでも普遍的な真理なんて探す必要は無いと思うし、第一それはどうやって証明できると言うのだろう。

法律に抵触してしまうのは問題だろうが、そうでない範囲で自分の信念を打ち立てること。

それが、私にとっての哲学だ。

そして、宗教に頼らない道を選択したヒトは、そういう信念を持つべきだと思う。

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