2009年12月15日火曜日

能動性は即ち躁?

主体性や積極性のどこまでが正常で、どこからが躁なのだろう。

一人で出掛けたいという発言は、能動性の発現なのか、それとも躁の発現なのか。

農業に携わりたいという思いは、能動性の発現なのか、それとも躁の発現なのか。

今の私に、その答えは出せない。

私はその真っ只中にいる。

何をやっても、それは躁の発現だと見られているのではないか、という思いが付きまとう。

それなら私は、もはや何の自発的意思も示せないのだろうか。

受動的に言われるがまま、生きていくしかないのだろうか。

きっと答えは、例によって例のごとく、両極のどちらでもなくて「適度」に能動的であること、という今更な答えなのだろう。

それは結局、答えにはならない。

「適度」とはどの程度か、ということこそ、まさに私の問いなのだから。

こんなことを考えていること時点で、社会復帰などまだ望むべくもないのかも知れない。

こんな悩み方をして将来のことが決められないでいるようでは、社会人ではいられないだろう。

悩んでいること自体が異常性の証拠、それには一理あると思う。

もっとも、だったら私は悩み続けるべきでないのか、もし悩むべきで無いならどうすべきなのか、という新しい問いが生まれるだけなのだが。

やはり入院しか無いのだろうか。

2009年12月10日木曜日

働くって、何だろう。

おそらく、考えること、あるいは考える時間的余裕があること自体が贅沢だと糾弾されるような、そんな話題。

働くとはどういうことか。

多くの人が、その答えを持たないまま、あるいは「どうせ答えの出ない悩み事だから」と答えを持つ必要性を感じないまま、日々を過ごしていると思う。

実際、考えている暇も無く働かなければならない、という人が大半だろう。

先月くらいまでの自分も、こんなことを真面目に考えたことは無かった。

「答えの出ない悩み」だとは思っていないが、社会人になるまでは実感を持って考えることはできなかったし、なってからはなってからで考えている暇など皆無だったからだ。

もし私がこんな問いを誰かに投げかけても「そんなこと考えていられるなんて贅沢だねえ」と返されてしまうであろうことはよく理解できる。

私だって、働いていた頃に誰かにそう尋ねられたら、同じように答えたに違いないのだから。

しかし、今の私は答えを出さなければならない。

どうも私の主治医は、私が惰性で復職することができるようなタイプではないと踏んでいるようだし、私自身もその通りだと思う。

復職すると、私はどういう環境に身を置くことになるのか。

それは自分にどんな負荷をもたらし、どんな影響を与えるのか。

復職しないとするなら、これからどのように生きていきたいか。

これらの問いに答えることは、突き詰めると「働くとはどういうことか」という問いに答えることに近づいていくように思う。

期限は、1週間だ。

2009年11月28日土曜日

休止

私は、弱音を吐くのが嫌いだ。

正確には、充分な努力をなさないまま弱音を吐くのが嫌いだ。

だから「できない」のか「しない」のかはともかく、努力しているとは言えない今、弱音を吐くことは自分のプライドが許さない。

更に言えば、感想や意見を述べることも。

だからしばらくの間、この日記を更新することは無いだろうと思う。

自分の不調を訴えることは大事なことだ。

それが私に欠けていることも理解できる。

だが、それをブログでやることには賛成できない。

訴えるべきはキーボードでは無く、現実の身の回りの関係者に対してであるべきだと思うからだ。

2009年10月29日木曜日

弱点は集中力

武蔵浦和の埼玉障害者職業センター・リワーク支援室を訪れた。

本日は全体説明。

支援プログラムを実際に始められるかどうかや、どのような内容にするかは各々異なる。

その内容策定だけで1ヶ月はかかる。

まずは来週、そのための相談の時間を頂いた。

申込書を書いていてはたと困った。

症状が無い。

正確には、非常に説明しにくい。

私の目下の問題点は双極性障害の弊害、つまりいったん物事を始めると達成するか疲労が限界に達するまで自分からは中断しないことである。

今までの私が武器としてきたこの集中力が、今の私には最大の弱点なのだ。

これまでの過換気などと違って一見しただけでは「病気」には見えないこの点を、どのように説明するか。

これからの課題が垣間見えたようにも思う。

2009年10月14日水曜日

Storm!

夜の雷雨はすごかった。

私がこんなもの弾いたせいだろう。

2009年10月6日火曜日

モザイクをかけて何になる。

光市の母子殺害事件を巡って、報道が致命的なミスを犯した。

2009年9月27日日曜日

PPP

我が家はこんなところです。

2009年9月24日木曜日

沈まなかった温泉郷

最近、このWebページが面白い。

2009年9月22日火曜日

銀週間

「ゴールドウィーク」とは言わないように、何となく違和感を感じる。

2009年9月20日日曜日

Chambers Dictionary

オンライン英英辞典を探していて、運命の出会いを果たした。

2009年9月18日金曜日

試行錯誤

日記の取り扱いで少し悩んでいる。

2009年9月17日木曜日

性格と病気の狭間

精神病は性格や特性の問題だと言われやすい。

2009年9月16日水曜日

過食傾向

これまで私は、食事にあまり重きを置いてこなかった。

そもそも、何かに集中すると食事を忘れかけるようなタイプである。

そのせいか体格も痩せ気味だったし、ダイエットに苦労する方々の心情を理解するのは少々難しかった。

しかし、そんな自分はもはや過去のものだ。

2009年9月15日火曜日

整理統合

生活時間のシフトに伴い、ブログに割ける時間は今後も減少が予想される。

これまでこの外部ブログとmixi日記を併用していたが、今回これを統合することにした。

あわせて文体も外部ブログで利用していた言い切り形にまとめる。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

2009年9月14日月曜日

修復作業

相棒Acer Aspire Oneがトレマ先生と大激突。

GUIがまともに動かなくなるという事態に。

何もバックアップを取っていなかったのでかなり慌てたが、何とか自宅の無線LANと共有フォルダを利用して必要なデータを回収、再設定して再生させることができた。

便利な時代になったものだと思う反面、この無線LANのネットワークに侵入されたら最後、どんなデータも持っていき放題ということなのかと考えるとちょっとぞっとしない。

2009年9月13日日曜日

双極性障害

双極性障害ではないか、という指摘を受けた。

明るくない言葉だったので軽く調べてまとめてみたところ。

躁状態の兆候として「多幸感もしくは興奮性、これに加えて無力感や寂しさをまぎらわすため社会的生活や職業能力を著しく阻害する行動(衝動買い、無分別な性衝動、薬物乱用、無謀運転、過食、突然の旅行など)を取る」とある。

少し待て。

何だこの見事なまでの当てはまりっぷりは。

特に一部の行動では、既に友達に大きな迷惑を掛けてしまっている。

その人数も指折りでは足りない。

要、猛省。

他に表現のしようがない。

2009年9月12日土曜日

Admission

[uncountable and countable] the process of taking someone into a hospital for treatment, tests, or care

... from Longman Dictionary of Contemporary English

いわゆる「入院」である。

実際に病院にいるわけではないが、やっていることは同じと言ってよいだろう。

生活時間を一定に保ち、外出を控えて静養する。

しばらくは隔絶生活だが、それも治療のためである。

明日本番を迎える某学校の部活の皆様、健闘をお祈りしております。

2009年9月10日木曜日

Li2CO3

投薬治療が変わった。

リチウムを主体とする精神安定へと大幅に舵を切った。

併せて復職プログラムが本格化し、スケジュールをきちんと付けることになった。

しばらく自宅付近での仕事に従事する。

2009年9月9日水曜日

自信

この一ヶ月は、正直言って「独りになると何に対しても無気力になる」という状態が続いた。

確かに、抗鬱剤の効果は認める。

しかしそれも「何かしなければならない」と気持ちが空転するのが関の山で、何かを実際にやっていたわけではない。

ブログの更新はおろか、携帯電話すら見なくなり、悶々とすることすら無く茫然と時間を見送ってきた。

最終的には頼みの綱の音楽さえ楽しくなくなった。

自分は多趣味であると自認していたはずだが、大黒柱の音楽がダメになると、他の趣味も全くといっていいほど手に付かなくなってしまった。

読書には身が入らず、プログラミングの負担には5分と耐えられなくなり、何と惰性でテレビゲームをやっているときですら「自分はいったい何をやっているんだろう」と苦痛を感じるようになった。

唯一残されたのは小旅行。

自宅にいない時間が増えた。

帰ってきては寝て、また出かける。

これでは「治療する気があるのか」と言われてしまうのも無理もない。

「きっとまた社会復帰できる」という自信すら失った今の私は、いったいどうすればよいのだろうか。

2009年8月5日水曜日

金儲法

件名が露骨すぎる。

その通りなのだが、もうちょっとマシな表現は無かったのだろうか。

2009年8月3日月曜日

Lyrics Editor

以前から勤務時間を「仕事の時間」と見立ててjavaのプログラミングをしていたが、大方完成した。

ALTキーやCTRLキーを併用するとラテン補助文字が簡単に打ち込めるテキストエディタ。

これがあればシャンソンもリートもボサノヴァも思いのままに歌詞を打ち込める。

2009年7月29日水曜日

頭文字D

原作ではDはDriftのことらしいが、ここで言うDはDriveのこと。

母校へ行ったところ、思いかけず友達が車で来ていたので、ドライブに連れていってもらった。

最後は勢いで私の自宅付近まで私が運転していくことになったのだが。

高速道路の側道をほとんどブレーキを使用せずに走る私の走法のために車内は大絶叫。

更に勢いで窓を開きカーステレオから"The Jazz Police / XXL" by Gordon Goodwin's Big Phat Bandを流して走ると、もはやジェットコースターより怖い。

同乗者の友達の一人が「この曲ってこんなに怖かったんだ」と思わず漏らすほど。

一応申し添えておくが、私の運転は決してスピードを出しまくるわけではない。

ブレーキをあまり使わないだけである。

事故や違反の経験を経て、必要なブレーキも身につけているつもりだ。

そうは言っても、あの車内を考えるに「私の運転は怖い」という認識は今後も広まっていくのだろう。

2009年7月24日金曜日

魔の金曜日

金曜日は、私にとって魔の日である。

月曜日からの疲労が祟って倒れることが多いのだ。

具体的には、全身に痺れが走り、たとえお腹が空いても暑くなっても動く気力が起こらないような状態でいる。

かといって眠ってしまうこともできず、何も考えずに中空を眺めるのが常である。

主治医の先生からは月曜日から飛ばしすぎないよう注意を頂いている。

来週からしばらく東京へ出るのを控えようか。

2009年7月23日木曜日

音楽と花火の融合

そう言えば、一時期「放送と通信の融合」を叫んでいた方は今頃どうなさっているのだろうか。

風の噂では会費制の講演会などを行っていらっしゃるそうだが。

本日は「足立の花火」。

ここ足立区のものに限らず、最近はあちこちの花火会場で「光と音の饗宴」などと題して花火に音楽を合わせようとする試みが増えたように思う。

しかし残念ながら、私の見方ではいずれも悉く失敗している。

花火が開くタイミングにぴったり音楽が合うと、私には花火が遅れて見える。

花火が完全に開き切るのは、当然ながら花火が開き始める瞬間よりも一瞬後だからだ。

そもそも、一発勝負の花火に対して録音の音楽を当てるという感覚が間違っているのだと思う。

その日の湿度や風などの天候を始め、花火が開くタイミングには多くの要素が関わっている。

そこへ録音された音楽を無理矢理合わせるというのは、あらかじめ録音されたバッティング音に合わせて野球の打者がボールを打つような違和感を感じる。

かといって、緊縮財政のご時世に花火に合わせて生演奏、というのもなかなか難しいだろう。

荒川区や板橋区のようにプロ同然の市民楽団があるような場所ならその協力があれば不可能ではないかもしれないが、それにしてもかなりの困難を伴う。

色々考えたが、本気で「光と音のシンクロ」を目指すなら、花火師がDJになって音楽を流すのがベストではないだろうか。

音楽に花火を合わせるのではなく、花火に音楽を合わせるのである。

全国の花火師の皆さん、ぜひDJに挑戦してみていただきたい。

付言すると、音楽と言えば管弦楽クラシック、というのもなんだか陳腐な話である。

そもそも、管弦楽は静かに演奏する部分があって初めて成立するものであって「静かさ」を表現しにくい花火には非常に不向きだ。

和太鼓をはじめ、花火に似合う音楽はもっとあるはずだ。

何なら私の大好きなビッグバンドでもいいのではないだろうか。

例えば"The Heat's On"( in the Album "The Basie Big Band", by Count Basie and his Orchestra)などいかがだろう。

タイトルも雰囲気も華やかな花火には打ってつけだと思う。

ビッグバンドでは風情を感じない、というのは確かにあるが。

2009年7月22日水曜日

Earth, Sun and Moon

日食は、古くは「日蝕」つまり太陽が蝕まれる現象を指した。

それは畏怖すべき事柄だったし、今でも無邪気に楽しむものではないと思う。

こんなときしか空に目を向けない人間にはなりたくないと、そう思う。

太陽は雲の向こうから、地球を照らしている。

月もいつも地球のどこかを、そして今回のように時には太陽と同じ方向から、地球を見つめている。

日食をどう受け止めるかは各自の自由だが、一言だけ申し添えておきたい。

人間は皆既日食がいつどこで起こるか予測できるのに、その場所の天候すら予測できないということを。

2009年7月21日火曜日

不眠再発。

睡眠剤は飲んだはずだが、不眠が再発した。

昨夜から明け方まで、ぼーっとしたまま起き続けている。

それでも、眠れないからと何かを始めたりしなくなったのは進歩かも知れない。

ひたすら何も考えず天井を眺めていることができるようになった。

それにしても、いきなりどうしたのだろう。

また何かで頭が悩みだしたのだろうか。

2009年7月20日月曜日

弐厘

昨日の土手で、年甲斐もなくサッカーボールにヘディングをかましたら眼鏡のフレームが曲がった。

やはり止めておくべきだったか。

本日は日がな裸眼生活。

私の裸眼視力は0.02である。

ランドルト環は迫ってくるもの。

全ての境界が滲んでいく。

ぼくの手の輪郭も、あなたが着ているTシャツも、

滲んで空気に融けだして、つながって一つになる。

どこまでもぼくが続いていく気がして、

どこからでもぼくまで辿って来られる気がして、

なかなかこの世界が好き。

本当に融けたらどうなってしまうのかわからないけど、

砕け散るよりは痛くなさそうだし。

もう少しだけ、融けてる気分でいさせて。

2009年7月19日日曜日

火遊びにご用心

私より若い人々と遊びに行くこと自体が、周囲から見れば火遊びに等しいのかも知れない。

だから花火をしている後輩たちを眺めているだけで、私には充分である。

そう言えば、今日は綺麗な副虹が見られた。

麒麟の仕業か。

2009年7月18日土曜日

今年初達成。

今年初めて、ウィークデイを通じて東京へ通うことに成功した。

時間こそ午前11時台に到着という遅めのものだったが、一つの大きな足掛かりになる。

と言いつつも、本日はその疲労が祟って一日中動けなかった。

思えば札幌時代も土曜日と言えば倒れていたような覚えがある。

疲れが溜まりやすいのか、抜けにくいのか、それとも他の方々とは違う疲れの要因が加わっているのか。

2009年7月17日金曜日

丹後縮緬

突然だが、私は和服が好きである。

池袋に着物のリサイクルショップがあると知り、顔を出してみた。

手始めに見学に行き、外出できる浴衣でも買おうかと思っていただけだったのだが、柔らかい紫色をした絹の一反物の着物に一目惚れした。

残念ながら帯には恵まれなかったので、別の場所で買おう。

2009年7月15日水曜日

メンタルケアの両輪

鬱対策、いわゆるメンタルケアの充実を謳う企業は多い。

しかし実際に患ってみると、本当に充実していると言えるのか疑問に思うことがある。

鬱に陥った者を休ませる休職の仕組みは、メンタルケアの一部に過ぎない。

休んだ結果回復した者を順調に復職させる仕組みが無ければ片手落ちである。

簡単に言えば、働けない者を休ませることはあっても、休んでいる者を復帰させる姿勢は医者任せ、というのが現状なのだ。

メンタルケアの充実を喧伝する企業に対しては、この出口戦略があるかどうかを質問して確認する必要があるのだろう。

2009年7月13日月曜日

保守VS革新? 階級闘争?

今回は珍しく政治の話題である。

最近は政治の世界が賑やかだ。

先週まで東京は街宣車と街頭演説があふれていたが、どうやら今度は全国でそれが起こるようである。

日本では階級対立闘争の構図が長く続いた。

自民党が資本家の、社会党が労働者の代表だった。

だからかも知れないが、国政選挙では階級闘争の構図が現れてきた。

しかし民主党は違う。

彼らは連合の支持を得ているとは言え、政策的には決して労働者の代表者ではない。

保守政党では無いのは明らかだが、彼らの政策はどちらかと言えば資本家、より正確に言えば私の好きではない言葉だが「知識人」寄りである。

保守か革新かという軸と、資本家寄りか労働者寄りか、という軸は日本では歴史的に一致すると見られてきたが、確実に別物なのである。

資本家寄りの保守政党が自民党と公明党。

資本家寄りの議員と労働者寄りの議員が混在しはっきりとは言い切れないが、確実に革新政党なのが民主党。

労働者寄りだが保守政党のような行動を取るのが日本共産党。

そして労働者寄りの革新政党を自負しているが、もはやその地位は失墜した社民党。

このように軸を2つに分けることで、各政党をはっきり区別できるし、自分の政治態度もわかりやすくなるのでは無いか。

ついでなので今回の都議選についても自己分析しておくと、結果を見る限り今回起きたのは政権交代への期待、裏返せば麻生政権への拒否反応であることは否めない。

民主党のみが躍進し、共産党や社民党、生活者ネットワークなどの他の政党が議席数をほぼ半減させてしまったことがその根拠である。

政権交代の能力を持っているのは今のところ民主党以外に無いし、そのことを有権者が意識していることが結果から読み取れると思うのだ。

国政と都政は確かに別である。

しかし、有権者は同じである。

だから結果がリンクし得ることは存分にあり得るし、民主党が第一党として連立政権を組む可能性は無視できない。

ただ、私自身は民主党政権が長持ちするとはまったく思っていない。

その理由まで書くと長くなってしまうので、それは日を改めようと思う。

ちなみに、私が政治を注視しているのは、私が証券屋であり、またETF投資にかかわっているからに過ぎない。

政治にさほど興味は無いので、政治課題については大半が明るくない。

政治課題や政策の話題を振られても付いていけない可能性が高いので、ご了承いただきたい。

2009年7月12日日曜日

弾けないアレンジ

本日一日を費やして、大体完成した。

The First Circle (Piano Solo Arrangement : Page 8 Only) / Pat Metheny Group

聴こえた音はすべて盛り込むのが、私のピアノソロアレンジの手法である。

弾けない声部は弾かなければよいと思っているので、とりあえず譜面が真っ黒になるのだ。

どう見ても今回のアレンジメントも弾けそうにない。

弾けた方、コメントにてご自慢ください。

2009年7月10日金曜日

封印宣言

他人から指摘されないと気付けない問題点は、往々にしてある。

今回の指摘は私にとって非常に悔しく辛いことだったが、その通りだった。

私は、仕事をするために休息しているのだ。

大学生活に戻るためでも、人文科学の研究をするためでも、ましてや演奏活動をするためでもない。

だから平日の日中は、仕事をしている気分でいた方がよい。

読書や研究はまだしも、楽器の演奏など論外なのだ。

平日の自由行動を封印する。

それは社会人ができることではないから。

自由行動を封印しても大丈夫なくらいには、私は回復したという自負もある。

2009年7月8日水曜日

時間管理

大学時代、私は学習に勤しんだという自負がある。

それでも考えてみると、大学時代を遊びに費やしていた方と生活時間に差は無かった。

大学へ行くのが遅刻ギリギリなのは日常茶飯事。

実際に遅刻したケースも指折り数えられるレベルを超えている。

社会人と大学生の最大の違いは、時間感覚にあると思う。

何はともあれ時間厳守。

それが社会人の鉄則だ。

今、私の生活状況は大学時代の自分にまでは回復した。

しかし、だからと言って社会生活が送れるわけではない。

社会人にふさわしい生活時間を維持できるようになるまで、もう少し努力が必要だ。

働きたいと主張するなら、それができなければ話にならない。

2009年7月7日火曜日

同窓生の義務

クリスマスよりはるかにロマンティックでホーリーなこの夜に、他人といがみ合う夢なんて見たくなかった。

同窓生は、在校生が

  1. 自らの方向性を形成する際、情報提供以上のことをしない
  2. 願いを叶えようとする際、その手伝い以上のことをしない
  3. 決定を下す際、立ち会いを含む全ての強制力を働かせない

この三原則は今この場で私が考えたものだが、鉄則であると思う。

在校生が変革の必要性を感じていないときに、同窓生が変革を強要することは明らかにおかしい。

もし働きかけをするなら、まず在校生に変革の必要性を実感していただくのが先決だ。

それでも在校生が変革の必要性を認識しなかったら、同窓生は変革を諦めるべきだと思う。

それでも変革を断行するのは、院政でしかないのではないだろうか。

在校生のためを謳いながら、在校生の望みをきちんと理解する努力を怠ってはいないだろうか。

在校生に関わる同窓生は、在校生に対する発言力が強い分、常にそのことを考える義務を持っていると思う。

いや、たとえ在校生に対する発言力が強くなくても、大人として接する限りこの義務は変わらないと思う。

以前、多様な同窓生がいることが魅力なのであって、同窓生に一律に義務を課すことはその多様性を損ねると反論されたことがあった。

しかし、学校の同窓生が在校生と接する際に、教育的配慮を働かせなくてもよいとは考えられない。

いかに同窓生であろうと、それができない者が在校生と関わること自体が害悪だ、と私は断言する。

それは個性の問題ではなく、基本的な人間性の問題である。

2009年7月6日月曜日

対位法

対位法を学び始めた。

クラシック音楽の作曲法の中に、和声学と対位法という2つの手法がある。

厳密には違うのだが簡単に言うと、和声学は2つ以上のメロディを絡める場合の注意点をまとめたもので、対位法は各メロディが別のメロディの真似をしながら絡み合う、カノンやフーガなどの音楽における注意点をまとめたものだ。

ここでいうメロディとは現在主流であるホモフォニー、つまり1つのメロディがメインで他はそれを支えるだけのもの、ということではなく、すべてのメロディがメインメロディとなり得るポリフォニーの世界である。

500年くらい前の教会音楽などを思い浮かべればよいだろう。

私はポピュラーミュージックにおけるコード理論を学んだことがある。

コードは和音と呼ばれ、その瞬間の複数の音の響きについての理論がコード理論である。

しかし、ハーモニーは和声と呼ばれ、これは各メロディの次の音への進行に関する理論である。

対位法もハーモニーに注意を払うから、言わばコード理論を縦糸の理論と呼ぶなら、和声学や対位法は横糸の理論とでも言えるだろう。

経糸のコード理論をきちんと知っていれば、和声学も対位法もそれほど難しくはない。

注意したいのは、和声学や対位法にこだわると同じような曲しか書けなくなること。

実際、和声学や対位法に忠実な音楽はすでに出尽くしていると言っても過言では無いだろう。

現代の音楽では、和声学では禁じ手とされてきた手法を敢えて使用することで新しくカッコいいサウンドを生み出しているものが少なくないからだ。

理論はあくまで理論。

作曲で最後に重要になるのは、結局は直感である。

2009年7月5日日曜日

気分の谷

今回の谷はかなり酷かった。

ブログ更新もままならない疲労感、虚脱感。

生きていく気力が失われ、ただひたすら回復を待つ状態。

同じような状態は、思い返せば大学生の頃からしばしばあった。

この調子の浮き沈みを制御する方法はあるのだろうか。

2009年6月29日月曜日

WHEELIEEEEEeeeeeee!

川越街道を運転していた本日、対向車線をウィリーで走っていく兄ちゃんを見かけた。

ここは川越街道である。

湘南でもモトクロス会場でもX-Gameでも無い。

でもウィリー。

きっと湘南海岸でかっこよく決めるために練習しているのだろう。

そうでも思わないと状態と場所のギャップに笑いがこみ上げてきてしまう。

がんばれ兄ちゃん。

2009年6月28日日曜日

人恋しさはヒトの証?

人恋しい。

以前から時々突然こうなることは多く、その度に周囲を巻き込んできてしまったが、今回はかなり症状が重い。

これまで私は、人恋しさは私の弱さの象徴だと思ってきた。

一人でも生きていけるヒトを目指している私にとって、どうしても乗り越えなければならない壁だと思ってきた。

どうしてヒトにはこんな気持ちがあるのだろう。

悩み疲れた今、私は一つの境地に達しようとしている。

きっと、人恋しさは弱さの象徴では無い。

乗り越えるべき壁では無い。

確かに、一人でも生きていけることはとても大事なことだ。

しかし、ヒトはサルだった頃から共同体を組んでいたのだし、未熟な状態で母親から生まれ、周囲のヒトに育ててもらう存在だ。

天涯孤独だった、純粋に一人で生きたことのあるヒトなどいないはずである。

だから人恋しさは、持っていて当然の気持ちなのかも知れない。

ヒトを求める気持ちこそが、ヒトである証なのではないだろうか。

2009年6月26日金曜日

一日乗車券

実は、東京の一日乗車券はメトロよりも都営の方が得である。

なぜなら、バスを利用できるからだ。

本日はそれを駆使して友達に会ったり図書館を巡ったり。

歩数は20'000歩を突破した。

そして今は、東京の友達の家にお邪魔している。

続いてこれから船舶免許の学科教習だ。

2009年6月23日火曜日

友達とDrive!

アルトサックスを吹く友達を誘って、母校でバリトンサックスを練習。

指導もしてもらえて大助かり。

本日は母親も東京へ出かける用事があったため、車で東京へ出た。

ついでなので、とこの友達をドライブに誘ったところ、この人が八面六臂の大活躍。

最後にはドライバーをもう1人巻き込み、全8人で東京を走り回るというとても当初は想定していなかった事態に発展した。

私はいい友達に恵まれたとつくづく思う。

ドライブ中は雰囲気もドライブ状態、いやオーバードライブ状態だったかも知れない。

みんなも楽しんでくれたなら、是非またやりたいものだ。

ちなみに途中にこんなものがあったが、上野ってこんな街だっただろうか?

2009年6月22日月曜日

千代田区の図書館

母校の部活を訪問したところ。

試験前につき休部期間に入っていた。

在校生から事前連絡を頂いていたも関わらず、またしても失敗してしまった。

腹いせに千代田区まで出かけて散策。

水道橋から九段下まで歩いた。

車で通る時と違い、歩いて散策すると周囲を見渡すことができる。

意外と大学が多いことを実感した。

最終目的地は千代田区の中央図書館だったのだが、ここの設備はかなり凄い。

区役所の9階に陣を構え、16ヶ所のPC持ち込み可能ブース、8ヶ所のインターネット端末を持つ。

お目当てのCD蔵書量は大したことは無さそうだが、新書の蔵書数などはかなり期待できそうだ。

2009年6月21日日曜日

未来都市の動物たち

未来都市と言われて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。

空飛ぶ車。

超高層ビル。

半透明の建物。

いろいろなイメージがあるだろうが、こういった科学的な未来都市になってしまうと、とても住みにくいであろう存在がいる。

それは、動植物たちだ。

犬、猫、鳥、その他様々な動物たち。

周囲が田んぼという環境で育った私にとっては、自然に生きる動物たちは当然そこにいる存在だった。

梅雨の季節には蛙が大合唱を奏でていたし、秋には電線に燕の親子が並んでいた。

庭には季節に応じてタンポポや紫蘇、柿が現れた。

映画「スター・ウォーズ」や「フィフス・エレメント」などで描かれる未来都市には、そんな環境は無い。

ゲーム「ファイナルファンタジーVIII」に現れる未来都市では半透明の道路と犬が平然と混在しているが、冷静に考えて半透明の地面に犬が不安を感じないとは思えない。

環境の重要性が認識されつつある今、科学的な未来都市は過去の想像物に過ぎなくなっているのかも知れない。

2009年6月20日土曜日

哲学的

後輩から、私は哲学的だと評されたことがある。

しかし、私はきちんと哲学を学んだことが無い。

永井均『<子ども>のための哲学』と、ヨースタイン=ゴルデル『ソフィーの世界』くらいしか読んだことは無い。

一体、どんなところを評して哲学的だと思われたのか、今となってはわからない。

ただ、日本人は哲学的であるべきだと思う。

別にイデアは存在するのかとか、ウィトゲンシュタインがどうしたとか、そんなことは考えなくてよいだるう。

そうでは無く、信教の自由が認められ、そして無信教の人々が多い日本においては、哲学は避けて通れないはずだと思うのだ。

宗教に頼らずに世の中のルールを考えるのが哲学だと、私は思っている。

人生の意味。

善悪の基準。

そんな大それたことでなくてもいい。

誰も見ていない赤信号を渡るかどうか。

店員さんと話すときにこちらも誠意を見せるかどうか。

そういったことに自分なりの答えを用意することが、哲学だと思う。

言わば日本語で言う「人生哲学」が、私にとっての哲学だ。

人生哲学はヒトによって違うのが当たり前だから、誰にでも当てはまるとは限らない。

西洋の学問である哲学のように、誰にでも普遍的な真理なんて探す必要は無いと思うし、第一それはどうやって証明できると言うのだろう。

法律に抵触してしまうのは問題だろうが、そうでない範囲で自分の信念を打ち立てること。

それが、私にとっての哲学だ。

そして、宗教に頼らない道を選択したヒトは、そういう信念を持つべきだと思う。

2009年6月18日木曜日

闘病という言葉

病気や怪我は療養すれば治る。

だから闘病という言葉は、基本的に不治の病のときにしか使われない。

そう、早く気づくべきだったのだ。

鬱は「不治の病」だと。

だからこそ、闘病という言葉が使われるのだと。

だから、鬱と闘病して治す、という考え方は捨てるべきだと、今の私は思う。

療養して精神状態を安定させ、自分の精神が不安定になるような負荷が何であるかを知り、不安定な状態に陥らないような対象方法を身につける。

ただそれだけのことなのだ。

それを「治す」と呼ぶヒトがいても構わないが、私はこれを治すとは呼ばないと思う。

後天的に障害を負ったヒトが不自由なく社会生活を送れるまでに回復したとしても、それは「治った」とは呼ばないだろう。

それと同じことなのだと思う。

鬱は病気ではない。

後天的な精神障害である。

だから、治ることはない。

しかし、だからと言って今後もう社会生活が送れないわけでは無い。

その制約の中で精一杯生きるのが、私の生きる道なのだ。

2009年6月17日水曜日

助けが必要なとき

一番助けを必要としているとき、私は必ず自室にいる。

考えてみれば、当たり前のことかも知れない。

助けを求めて行動している間は、まだマシな方なのだ。

一番辛いのは、助けを求める方法も、訴えかける相手も見失って、絶望的な気分で自室の天井を眺めているとき。

そして、これも当たり前のことだが、そんな状態の私は、多分ほとんどの方が見たことは無いだろう。

泣き方を、思い出したい。

泣き疲れれば、元気になれるような気がするから。

2009年6月16日火曜日

遅刻魔属性

私は、認めたくは無いが遅刻魔である。

少なくとも、現実はそう物語っている。

認めたくないのには一応理由がある。

というより、遅刻魔であることは自認してはならないと思っている。

それは、ただの開き直りに過ぎない。

それにしても、なぜ2時間も前から準備しておきながら、肝心の電車には間に合わないのだろうか。

10年以上前からの疑問だったが、本日の行動を振り返って、遂にその原因の一端を掴んだ。

私は、出発直前に身支度を変える。

それも、頻繁に。

しかも、気分で。

対象は服装、鞄、靴、持ち物などほぼ全て。

事前に準備していたものとて例外ではない。

現に、本日は気分で前日に用意していた鞄を変えることにして、中身を詰め替えて出かけたら電車を逃した。

コロコロと気分を変えること自体は、もはや性格であって変えられないだろう。

その心変わりをたしなめる意思が弱いのか。

あるいは前日に準備した初志を貫徹する意思が弱いのか。

いずれにせよ、どうにかしてこの属性は返上したい。

2009年6月14日日曜日

Show off your fans!

Bloggerを編集していると、時々「ファンを自慢しましょう」という項目が出現する。

少し気になって別言語でログオンしてみたところ、UK版では"Show off you fans!"と表示される。

show sth <--> off
to show something to a lot of people because you are very proud of it
... Longman Dictionary of Contemporary English 2003

「誇らしいことなのでたくさんの人に見せること」は「自慢すること」なのだろうか。

「恥の文化」とも呼ばれる日本では「自慢」はあまり肯定的な表現ではない。

そもそも「自慢する」ことは「見せる」ことだけとは限らない。

どうもLongmanの訳を参考にするなら、これは賞状などを「飾る」に当たる表現であるように思う。

ひょっとして「ファン『を』自慢する」という日本語表現がふさわしくないのかも知れない。

ファンの多さ、あるいはどうやって計測するのかは別としてファンの質の高さなどならまだしも、量でも質でもなくファン「そのもの」を自慢する、という表現は日本語にはどうも似つかわしくないように思う。

たとえ直訳でないにしても「ファンを紹介しましょう」などの表現の方が日本語としてはふさわしいように思うのだが。

このブログをご覧の皆さん、英語にでも日本語にでも結構ですので、コメントにてご意見いただけませんでしょうか。

お待ちしております。

2009年6月13日土曜日

やっぱり日本人だからうつになる?

親友と言っても良い後輩から相談を持ちかけられた。

社会人としてうつと付き合う私に、少し話を聞いてみたいとのことだった。

発症してから気づいたことだが、私の周りでも実に多くの方々がこの症状で苦しんでいる。

そして何より驚いたことは、その大半の人々が自分がその症状を抱えていることを隠していたことだ。

私が倒れたことを知って「実は自分もそうでした」と教えてくれた友達は一人二人では無かった。

私の場合、発症の瞬間が「救急車で運ばれた日」とかなり明確である上、その前後の状況から鑑みて原因を一つとまではいかないまでもある程度絞り込むことができる。

しかし一般には、そこまで原因が絞り込めないことが多い。

それもまた、症状を抱えている人々がそれを隠そうとする遠因かも知れない。

うつを抱える多くの方は、自分と他人を比較して苦しんでいる。

一見平然と生きている他人と、そうは生きていけない自分との違いに悩み、苦しんでいる。

私も発症初期はものの見事にそうだった。

同じ仕事量をかけられていながら、何故同僚は平気で、私は倒れてしまったのか。

冷静に考えれば、同じ仕事量だからと言って同じ負荷が掛かっているわけでもないし、その負荷に耐えられる限界がヒトによって違うのも当たり前だし、そして何より、その負荷を受け流したり発散したりする能力や条件もヒトによって違って当然なのだ。

しかし私の経験から言えば、そうやって冷静になって考える余裕も能力も時間も失い、視野狭窄に陥るのがうつに苦しむ患者の特徴である。

自分と他人を比較すること。

それを一概に悪いことだとは言わない。

自分が持っていない魅力を他人に感じて、それを成長の糧にできるなら。

しかし、比べたって仕方がないことだってある。

氏素性や生まれ育った環境などの過去。

現在の器量の広さや性格。

それは量的に計測できるものでは無いのだから、比較して悩む意味すらないだろう。

どうせ比較をするなら、未来の自分同士を比較したい。

今ある目標を達成した自分と、達成できなかった自分を比較してみたい。

それは、きっと自分の成長の糧にできる。

2009年6月12日金曜日

Jam Session

相手がどう思っているかはともかくとして、私は多くの後輩を親友として見ている。

今日はそんな後輩の一人と共に母校へ出向き、在校生と一緒にジャムセッションを楽しんだ。

と言っても私の腕前はへっぽこだし、ベースラインを弾きながらの演奏だったので四苦八苦だったが。

Jamは文字通りのジャムのことで「ごちゃまぜな」、Sessionは最近日本でも使われるようになったがここでは「演奏」としておこう。

曲目をはじめとした最低限のルールだけ決めて、あとはお互いにアイコンタクトやジェスチャーを交えつつ即興で演奏を楽しむ、ジャズの醍醐味の一つである。

何も手取り足取り教えることだけが、先輩の役目ではない。

というより、もはやそれは在校生の先輩の役割であって、同窓生となった私の役目ではないだろう。

もちろん在校生に「やってみる?」と水を向けることくらいはしているが、だからと言って無理矢理やらせるのは楽しむことが第一のジャズにおいてもっとも避けるべきことの一つだろうと思っている。

在校生だって捨てたもんじゃない。

彼ら彼女らも立派な一人の人間だ。

少々おこがましい言い方であることは覚悟の上だが、遊んでいる我々の姿から、何かしらの雰囲気を感じ取ってくれればいいと願っている。

2009年6月11日木曜日

『日本人だからうつになる』

母が「私の知る限り、復職について最も詳しく書いてある本」として紹介してくれた本がある。

著者の上野玲は、恐らくうつになったことがある方なら名前は必ず聴いたことがあるであろう人物だ。

10年もうつと付き合い続けているフリーライターであり、本名を公開して数々の著書を残している。

以前、同氏の『アカルイうつうつ生活』という著書も読んだことがあるが、それから著者にもかなり心境の変化があったようだ。

率直に言って、この本は自分のうつ状態を客観的に振り返ることができるような調子の良い日でない限り、うつの患者が読むべきではない。

特に、第5章「自助努力こそ必要だ―患者たちの甘えの構造」は、どん底にいる方には読むのがあまりに苦しいだろう。

一方で、社会復帰を本気で視野に入れている方か、もしくは自分はうつとは無縁だと考えている方には是非読んで頂きたい本だ。

新書なので1時間あれば読むことができる。

お時間の無い方は「プロローグ」と第4章「頑張れば頑張るほどうつになる―日本の風土病なのだろうか!?」だけでも目を通していただきたい。

また、うつではない方は第3章「企業と自衛隊のメンタルヘルス対策」が参考になるだろう。

できれば「届いたのは遺書だった」から始まる「エピローグ」をまず読むことをお勧めしたい。

「うつは心の風邪などではない。死にも至る、重篤な生活習慣病だと思う」

「その危機意識を、うつ患者のみならず、社会全体が受け止めなければならない時期にきている。患者が声高に言い続けていかなければ、誰も気づかない」

上野玲『日本人だからうつになる』中公新書ラクレ277、中央公論新社、2008年。

2009年6月10日水曜日

風邪?

少し風邪気味。

止まらないくしゃみと鼻水。

昨日のドライブの帰りに、半袖のくせに窓を全開にして高速道路を突っ走ったせいだろう。

あるいはその後倒れるように寝たときに寝冷えしたか。

新型インフルエンザの危険がある中、体調が良くないのにヒトゴミへ出るのは避けたい。

せっかくバリトンサックスの腕前が向上しつつあるのだが、今日は合同練習への参加を断念した。

体調管理も社会人の仕事。

寝冷えなんてもってのほかなのだが。

今でも私は未熟である。

2009年6月9日火曜日

Metropolitan Freeway!

♪子供でいたい ずっとトイザラスキー

 大好きなオモチャに 囲まれて♪

そんなCMソングが流れていたころ、私は高校生か大学生だった。

その頃は、オトナになんてなりたくなかった。

今思えばその最たる原因は、私が「オトナにならないと楽しめない遊び」をほとんど知らなかったせいであるように思う。

それは、お酒でも煙草でも吞み会でも合コンでもなくて、もっと楽しいこと。

本日は友達を誘って夜の東京をドライブ。

首都高はETC割引560円でどこまででも乗り放題。

北部の中央環状線は都会の明かりが見え、山手線の西側には新都心や公園が広がり、東南には海沿いの緑地で潮の香りを満喫でき、最後に臨海副都心の高層ビル群も楽しむことができる。

その途中では、千葉~茨城沿岸一周ドライブなんて構想も飛び出した。

夏にクルマの窓を開けて、気の合う友達とのんびりめぐってみたいものだ。

2009年6月8日月曜日

船舶免許

今月は船舶免許取得月間。

出かけるときは常に参考書を手にしている。

現在、船舶免許には4種類しか無い上、洋上で操縦するには二級以上の免許が必要だ。

二級は沿岸から5海里まで、という制約があるため、最終目標の小笠原クルーズには出られない。

そこで一級を取ることにしたのだが。

率直に言って、覚えるべきことがかなり多い。

外洋での操船のために必要なコンパス、ブイ、海図などに関する知識をゼロから詰め込まなければならない。

ええい、悩んでいる暇があったら勉強だ。

新婚旅行の機会に恵まれたら小笠原までクルーズに出ようと提案してみたい、という野望のために。

2009年6月7日日曜日

Come Monday !

以前借りてきたCD"Here at the Mayflower / Barry Manilow"はかなり私好みの曲が揃っている名盤だ。

その中でも、2曲目の"Come Monday"は名曲と言えるだろう。

サビの歌詞だけ紹介したい。

Come Monday !

Come Monday !

My life starts again

My new point of view is beginning

Come Monday !

That one day

My ship's comin' in

And this time I'm ready to roll !

通常、月曜日は「また仕事が始まる日」と消極的に捉えられることが多い。

軽快な8-Beatに乗って"My life starts again"と明るく言い切るこの曲は異色だと思う。

来るなら来い、月曜日。

明日は月曜日。

2009年6月6日土曜日

成長の夏

俳句を始めた。

本日は母校の同窓会が主催する定期イベントで、先輩に俳句を添削して頂いた。

以前から音楽は好きだったが、ピアノから音楽を始めただけあって、当初は歌に全く興味が無かった。

しかし、洋楽に触れて歌の持つ力を実感してからは、歌詞にも興味を持ち始めた。

その結果、作詞も始めるようになった。

作詞を始めてわかったことは、言葉に複数の意味を与える面白さ。

説明的な文章を省いて、詞からいろいろな想像ができるようにする楽しさ。

そして、自分にはその能力が不足していること。

その力を磨くには、やはり一番良いのは俳句である。

6月のお題は「夏の季語を入れる」だったのだが、私はその中で更に「成長の夏」というお題を付けて詠んでみた。

用意していったのは以下の三句。

  • 道半ば 我人生の 初鰹
  • あの雲を 捕ろうとかざす 虫取網
  • 滲んで映る 紫陽花の姿よし

そして、以下のように添削していただいた。

  • 道半ば 吾人生の 初鰹
  • 群雲に 届けとばかり 捕虫網
  • 紫陽花の 滲んで映る 姿かな

次回は9月。

お題は「小さい秋見つけた」に決めた。

2009年6月5日金曜日

Radioの時間

本日は雨模様だったので、自動車で外出。

札幌から帰省して以来、クルマの中では基本的にFMを流している。

私のお気に入りは81.3MHz「J-Wave」。

最初は名前から勝手にJ-Popsしか流さないのかと勘違いしていたが、実は半分は海外曲という意外とワールドワイドな放送局である。

ラテン音楽専門番組まであるのだ。

最近では新しい音楽と出会う場はもっぱらこの瞬間だ。

J-WaveのWebページには「今日のオンエア曲」が一覧で載っているので、気に入った音楽があったら時刻だけメモしておけば後から確認できるのも魅力の一つだ。

次にクルマで出かける日はいつになるだろう。

2009年6月4日木曜日

体脂肪率

本日、フィットネスクラブで体組成分析を受けたところ。

体脂肪率9.2%。

久しぶりに会った友達が一様に「また痩せたね」と言う理由がよくわかった。

脂肪が減ったため体重が落ちたが、筋肉量は何とか横ばいを維持している。

ひょっとして、早い話が飢餓状態なのだろうか。

体脂肪率

本日、フィットネスクラブで体組成分析を受けたところ。

体脂肪率9.2%。

久しぶりに会った友達が一様に「また痩せたね」と言う理由がよくわかった。

脂肪が減ったため体重が落ちたが、筋肉量は何とか横ばいを維持している。

ひょっとして、早い話が飢餓状態なのだろうか。

2009年6月3日水曜日

久々の近況

Q: 元気ですか?

A: 全然ダメです。

本日は定期主治医面談の日。

振り返ってみると、久々に気分の谷がやってきている。

かといって友達の前でいかにも病人ぶるのも気が引けるので、予定は予定通りこなす日々。

そもそも、気分の谷であろうとなかろうと活動できないと、仕事に復帰するなど夢のまた夢だ。

2009年5月30日土曜日

好き嫌い。

出会いにつきものなのは、自己紹介。

本日は、母校の部活の顔合わせに参加してきた。

確か昨年は札幌へ行っていて参加できなかったので、2年ぶりの参加となる。

そこで気付いたのは、学生たちの趣向だった。

具体的には「好きな人・物・事/嫌いな人・物・事」について。

私も10代の頃は、好き嫌いを少なくしようとする傾向にあった。

嫌いな物、嫌いな事、嫌いな人は、作らないでいられると思っていた。

その代わりに好きな物、好きな事、好きな人ができなくても、それは仕方がないと思っていた。

しかし、その後の10年は私を大きく変えたと思う。

物事は見方を変えることで、嫌いになることを免れることができる。

それでもヒトだけは例外だ。

嫌いな人というか、うまく話が合わせられないヒトは実際にいるし、きっとその時は相手も楽しい時間が過ごせてはいないだろう。

だから今では、ヒトの好き嫌いをかなり明確にしている。

私は、目的意識が固まっているヒト、もしくはそれを探そうとしているヒトが好きだ。

しかし、思考回路が固まっているヒトは嫌いである。

2009年5月27日水曜日

はじめました。

バリトンサックス始めました。

キャリアは今日で3日目。

まだ手入れの方法も覚束ない新人である。

そんな状態のくせに楽団で吹こうと思っているあたり、自分でも無謀な気がする。

とりあえず、安定して狙った音を伸ばせるようにならないと。

その次は明確なアタックとタンギングが必要だ。

運指はその後だ。

6月いっぱいで形にするのが目標。

2009年5月25日月曜日

新世代出現。

母校の部活を訪問してみたら、新入部員が来ていた。

そろそろ十二支が一回りすることは想定していたが。

新入生は、早生まれだった。

一回りどころじゃない。

しばらく立ち直れそうにない。

本気で「OB引退」を考えないと。

2009年5月22日金曜日

満員電車。

「満員電車」という詩がある。

東京メトロが行っている詩の募集に選ばれたものだ。

本日の帰りは満員電車だった。

重さ20kgの楽器を連れていた。

楽器に変な方向から圧力を掛けるのが嫌だったので、最後まで乗らなかった。

発車ベルが鳴った。

慌てて駆け込もうとした男性が「うわ!」と叫んで別のドアへと駆けていった。

アルコールが充満した車内。

鏡と化した窓。

隣にもたれかかるひと。

電話を掛け始めるひと。

この電車に、この閉ざされた世界に、花束をください。

2009年5月21日木曜日

復職は近い?

本日も産業医面談。

書き忘れたが、昨日は主治医面談があった。

どうも先月のカルテでは「眼光が鋭い、語気が荒い」など散々な書かれようだったらしいが、今回は面会した瞬間から「穏やかになった」と仰ってくださった。

問診でも触れることになったが、やはり5月の連休で多くの人と出会い、自分を相対的に見られるようになったことが最大の転機だったと思う。

何より、その時に会った社会人の友達は輝いて見えた。

引け目を感じたとネガティブに捉えればそれまでだが、大学時代に持っていたはずの、仕事をしている人への単純な憧れが蘇ってきたように思う。

ただ、その気持ちになってから、まだ2週間しか経っていないのが現状だ。

とかくこの病気は「明日はどんな気分かわからない」という厄介な症状がある。

まずは次の産業医面談までの1ヶ月間、この気持ちを持続させることが重要だという。

それが果たせた場合は、7月からテスト出社できるらしい。

あっ。

このタイミングで復職すると高校時代の部活の合宿に行けないかも知れない。

ま、そのときはそのときで「病み上がりですので少しお休みを頂きたい」とでも言ってみればいいだろう。

どうせ8月は仕事の能率が悪い期間だ。

2009年5月20日水曜日

姿勢。

最近、電車の中で足をガニ股のように広げて座っている男性が増えたように思う。

短足の私には絶対できないことで、迷惑ながらもちょっと羨ましかったのだが、今回そのカラクリを発見した。

そういう座り方をしている方は、総じて私より肩の位置が低い。

つまり、そういう方々はきちんと腰かけているのではなく、浅く腰かけて椅子にいわば「もたれかかって」いるのである。

だから足が折りたたみ切れず、ああやってガニ股になってしまうのだろう。

余計な心配だが、あれでは将来猫背になったり、悪くすれば腰を痛めてしまうのではないだろうか。

猫背の私には、我が振りを直すいい機会になりそうだ。

2009年5月18日月曜日

Want to do? Have to do?

私の周囲で、偶然にもこの話題が多くなっている。

「やりたいからやる」と「やらなければならないからやる」について。

日本語だと長いので、英語で「I want to do」と「I have to do」とでも表現しよう。

私にとって、「I have to do」は気をつけなければならない言葉のひとつだ。

この言葉にどれほど苦しんできたことだろう。

あるときは、自分で勝手に「I have to do」と思い込んで。

あるときは、他人から「You have to do」と言われて。

そしてあるときは、ヒトですらない会社やら社会から「You have to do」と要求されて。

私の耐久力が低かったことも原因にはあるだろうが、とにかく、そうやって私の人生を一時的にも潰した言葉である。

今でも、気を緩めるとすぐに「治らなければならない」という強迫感と闘う羽目になる。

だから、今では私は「I have to do」を「I want to do」で塗り替える技術を身につけよう、と思っている。

ここまで辿り着くのには半年かかった。

何せ最初は「塗り替えなければならない」と、やっぱり「I have to do」な思考をしていたのだ。

「やらなければならない」を「やった方が自分にとって良いに決まってる」を経て「自らやろう」と思うようになるには、劇的な性格改造が必要だ。

現に、アタマではこう思っていても、すぐ「やらないといけない」というように「I have to do」で物事を捉えている自分がここにいる。

周囲の環境は、もう決められている。

相手の性格、会社の性質、社会の体質は、自分の都合のいいようには覆せない。

だから、その与えられた環境の中で、どんな行動が今の自分に、未来の自分に、まとめて言えば自分の人生にとって最もプラスになるのか。

そう考えれば、「I have to do」の裏側にある「I want to do」の糸口は見つけられるはずだ。

時には、どう考えても「I have to do」の中から「I want to do」が見出せないときもあるはずだ。

考えたくはないが、もし不正や犯罪を指示されたら「I have to do」と「But I do not want to do」の間の溝は埋められないだろう。

そのとき、「I have to do」から逃れる手段はあるだろうか。

原点に立ち戻って、与えられた環境の中で、どんな行動が自分の人生にとって最もプラスになるのか、を冷静に考えるしかないだろう。

その結果「I do not do」を選択して、その社会から叩き出されることもあり得る。

でも、社会のために自分を悪に染めるくらいなら、自分の人生の方が大事だ。

今の私は、そう思えるくらいには成長した、はずだ。

大人になるということは「I have to do」と「I want to do」の擦り合わせがうまくできるようになる、ということでもあるのかも知れない。

2009年5月17日日曜日

恋と愛。

先日述べた親友から聞いた話だが、愛という言葉は明治になってできた言葉だという。

本当かと思って少し調べてみたが、正確には「明治に入って愛という言葉に新たな意味が与えられた」ようである。

古くは、愛とは主として思いやりのことであったようだ。

万葉集時代からその言葉は見られる。

特に、男女間においてそれを「恋」と呼んだようだ。

また、転じて好むことや大切にすることも愛と呼んだようである。

「愛でる」や「愛しい」という言葉にその意味が現れているように思う。

なお仏教では、愛とは愛欲もしくはそれに溺れることであり、どちらかというと人間の迷いのひとつであり、解脱を妨げる否定的な単語であったようだ。

さて、肝心の明治に入ってからの意味だが、これはキリスト教のアガペーに対する訳語であるという。

つまり「神がヒトに対して注ぐ、自己犠牲的で一方的な恩寵」というキリスト教の思想に対して愛という言葉があてられたというのだ。

先程の親友によれば「愛は見返りを求める」ものなのだという。

神はヒトではないので、自己犠牲的でも一方的でも恩寵を与え続けることができるかも知れない。

しかしヒトはそうはいかない。

そんなことしていたら自分の身が持たない。

だから、ヒトは見返りを期待することで、そして実際に見返りを得ることで、どうにかこの意味での「愛」を実現しようとするのではないだろうか。

その意味で、親友の言葉は逆説的に正しいのかも知れない。

かつては私も、アガペーとしての愛を持った人間を目指そうとして失敗したことがあった。

一方的博愛を目指して、失敗したことがあった。

その経験を踏まえて、世俗的で昔から使われていた、思いやりとしての愛を持った人間でありたいと思う。

そしてその思いやりが特定の相手に向けられるとき、それが「恋」なのだろう。

2009年5月16日土曜日

婚姻。

同期が、結婚した。

婚姻は、社会制度に深く根ざした絆の作り方であり、集団同士の交流の仕方のひとつだった。

自由な恋愛が当たり前になり、婚姻もそれによって社会制度からは遊離した。

そんな今、婚姻が意味する新しい絆とは何だろう。

直感的に、結婚するということには特別な意味があると思う。

ただ、国家のお墨付きを得るためだけじゃないはずだ。

ただ、神のお墨付きを得るためだけでもないと思う。

その絆は、大切なもの。

たとえ未来永劫は続かないとしても、この瞬間には確かにあったもの。

結婚とは、そのことを叫ぶ瞬間なのかも知れない。

2009年5月15日金曜日

Web+市場社会+資本主義=破滅?

5歳年下の後輩がいる。

相手が私をどう扱っているかはわからないが、私は腹を割って話せる親友だと思っている。

その親友が持ち出した話は、私を恐怖に染め上げた。

Webは、危険だ。

これまで漠然と「どんな人にも自分のことを知られてしまう」ことには恐怖を感じていたが、もっと根本的な危険がある。

このまま行くと、Webは私に処理不可能なほど大量の情報を流し込み、私は情報の取捨選択ができないまでに追い込まれる。

これまでの経験から言うと、そういう状態に陥るとヒトは情報を精査しなくなる。

何せ、1つの情報を精査している間に、10件の新しい情報が流れ込んでくるかも知れないのだ。

そうなれば、ある程度盲目的に情報を信じ込むしかない。

つまり「情報に踊らされる」時代がやってくる。

誰かがぼそっと「銀行が潰れる」と言えば、そうなる。

その銀行が本当は潰れそうになくても、後からどんなに頑張って誰かが「潰れません!」と叫んでも、動き出したら止まらない。

そんな時代がやってくるかも知れないというのだ。

それは、ヒトが自我を保っていられない社会と言えるだろう。

自分の考えを形成して保持することが非現実的なほど困難な社会。

だからといって多くの人が自我を放棄すれば、やってくるのはヒトが他人に流される社会だ。

自分流の生き方など望むべくもない。

ここまで考えが辿り着き、私は言いようのない恐怖に襲われた。

更に、私がこれまで考えてきた市場社会と資本主義を導入すると。

Webは際限なく拡大して、最後には世界全体を席巻する。

資本主義はより効率的に資本を集めるために、市場をWeb上で拡大していくからだ。

一見、誰でも、いつでも、どこでも、どんなものでも手に入るようになり、便利な時代に見えるのが更に厄介だ。

地理的な制約を受けないWebは、宇宙ステーションをも射程に収めるかも知れない。

社会は、気が付いたときには独裁制になっているかも知れない。

考え過ぎだろうか。

答えはきっと、私の生きているうちには明らかになる。

2009年5月14日木曜日

Sibelius初作品。

今朝方から作業して、遂に完成した。

Mighty Mighty by Earth, Wind & Fire (Page 1 Only)

いずれは曲数を増やして、バンドを立ち上げたい。

2009年5月13日水曜日

ビジネス書の氾濫。

私は、いわゆる「心得何ヶ条」や「社会人マナー」タイプのビジネス書は読まない。

当初は、ただの意地だった。

そんなもの人に指南されるもんじゃない、という反抗心が主だった。

しかし昨日書店で感じたのは、全く別の視点だった。

我々は、いつの間にか「相手の立場に立って物事を考える」能力を失ったのかも知れない。

マナーにしても言葉づかいにしても、基本的には「相手の感情を害さない」「相手と良好な関係を築く」ためのものだ。

だから、相手の立場に立って物事を考えれば、おのずと答えは見えてくるはずだと思う。

それを、安易に1'000円程度の本を買えばどうにかなる、と思うのはどうだろうか。

2009年5月12日火曜日

卒業論文。

捕鯨問題特集に卒業論文を掲載した。

あまりの誤字の多さ、議論の順序の間違いなど、掲載する気が失せる事態に何度も出くわした。

それでも、この作業は無駄ではなかったと思う。

私の原点は「捕鯨問題は国内問題だ」という一言に尽きる、ということを再発見できたから。

30分もあれば読める分量だと思う。

誤字の注釈の多さにうんざりなさるだろう。

論理の飛躍も多いとお感じになるだろう。

それでも、これが私の原点だ。

2009年5月11日月曜日

抗鬱剤と睡眠剤。

前日に睡眠剤を飲まなかったため、全く疲れが抜けていない。

抗鬱剤は、簡単に言えば「元気になっちゃった」な薬である。

私が服用しているクスリは約1日半ほどその効果が残る。

そのため、睡眠剤を使用して半ば強制的に脳を停止させないと、脳が休まらない。

効果が1日持たないクスリの場合は朝夕2回服用するので、結局は同じである。

そうしないと、翌朝鬱状態のまま目覚める羽目になるからである。

基本的に投薬治療では抗鬱剤と睡眠剤はセットなのだ、と改めて実感した。

私が服用している睡眠剤は8時間ほど効果が持続するので、結局は午後10時までには帰宅していないと翌朝のコンディションが整わない。

今後はそれを肝に銘じて活動する。

2009年5月10日日曜日

ご成約。

バリトンサックスを購入した。

Yanagisawa B-901である。

ビッグバンドにおける低音楽器の一つであり、ロックなど幅広いジャンルで活躍する楽器。

まだまだ唇の形すら安定しない状態だが、運指は後回しにして、3ヶ月以内に安定したピッチでロングトーンを吹きこなすこと、そして明確なアタックとリリースが出せるようにして、ビート感あふれるプレイを目指したい。

2009年5月9日土曜日

同窓会評議会。

高校の同窓会団体の評議会が開催された。

卒業直後に一度行ったことがあったが、予算や決算のことはさっぱりわからず、よくわからない発言をして出席者の皆様にご迷惑をお掛けしたことを覚えている。

今回は態度を決めて参加したので、発言こそしたものの場を乱すようなことは無かったと思う。

私はまだ卒業して10年にも満たない、在校生に最も近い同窓生の一人である、という態度だった。

同窓会は、今や任意団体である。

卒業時には加入するかどうかの選択は自由であり、卒業すれば当然入るものではなくなった。

卒業生に「魅力的だな」と思ってもらえるような同窓会であるべきだと思う。

同窓生の講演会など、在校生も呼ぶイベントが多くなってきた。

それは、講演の内容から運営まで含めて、在校生に同窓会の実態の一部を見せることに他ならない。

確かに、同窓会は第一には同窓生のための組織であって、直接には在校生のための組織ではない。

しかし、在校生が素敵な諸先輩と直接お話しできたり、あるいはそういった諸先輩と同じ同窓会の会員となることに誇りを持ってもらえるような、そんな同窓会にしていくことは、同窓会の魅力を高めることの一つの方策だと思っている。

在校生は、未来の同窓生なのだから。

2009年5月7日木曜日

捕鯨問題特集。

Webページ「すなおなおと」に、捕鯨問題特集を掲載することにした。

理由は多々あるが、最大の理由は以下の点だ。

今回は、かなりストレートに自分の感情を表現することにする。

捕鯨賛成派は、捕鯨反対派と同じくらい感情的で、議論が成立しない。

どちらも科学を自分たちの都合のよいように利用している点でも同じだし、自分たちの主張をまわりへ広めようとしていることも同じだ。

そしてどちらも、相手がなぜ自分と異なる意見を持っているのか理解しようとしていない。

それでは相互理解など進むはずもない。

確かに、かつては捕鯨反対派の方がその傾向が強かっただろう。

しかし、今や捕鯨賛成派も同類だ。

捕鯨反対派の方々には、太地浦や和田浦など、捕鯨が地域文化に根差している場所を見に来ていただきたい。

捕鯨賛成派の方々には、反捕鯨運動がなぜ「クジラが救えずして、地球が救えるか」というシュプレヒコールを上げたのかを知ろうとしていただきたい。

それもせずに賛成だの反対だの言うのは、独りよがりの自己主張としか思えない。

2009年5月5日火曜日

運命の出会い。

素敵な方と出会えた。

キーボードを持っていた私は、雨が強まったことで愚痴をこぼした。

その途端、その方は歩道ではなくお店の中を抜けるルートを提案してくださった。

私がわざわざルートを変えていただいたことにお礼を述べると、その方は仰った。

人が大切にしているものは、大切なものだから。

この感動は、生涯忘れない。

2009年5月4日月曜日

東京のフルート吹き。

高校時代の同期生の自宅にお邪魔させていただいた。

この友人は高校時代プログレッシブロックに傾倒していたので、私はてっきり今でもそうなのだと思っていたが、とんでもない間違いだった。

純朴に音楽と向き合い、フルートとリコーダーの超絶技巧を駆使して様々な曲を演奏する技術には脱帽するばかり。

その音楽が生まれた時代背景など、様々なことを教えてくれた。

もし私が音楽家になっていたら、この人のようになりたかったと思う。

2009年5月3日日曜日

同窓生と現役生。

本日、高校時代の先輩が企画した焼き肉パーティーに参加。

同窓生総勢10名弱が集まった。

企画者の先輩は現在高校生の現役の参加も歓迎していたように思うが、結果的には現れなかった。

高校を卒業してもう10年ほど経つ。

卒業直後の後輩同窓生や、まして現役の高校生とは明らかに年齢の違う世代に入った。

私がこれまでに経験した就職活動、営業、パニック障害に伴う休職命令などは高校生にとっては未体験ゾーンだろうし、逆に私も平成の世に産まれた高校生たちがどんな思いでこれまで育ってきたのかが正直なところわからない。

そもそも、高校生の頃の記憶がもはや曖昧だ。

もう自分は高校生の視点に寄り添うことは難しい気がする。

何せ、自分の周囲には高校教諭になった人までいるのだ。

高校生からすれば、私が学校にいたら「先生」と思われても仕方がない歳になった。

同窓生同士なら話せることでも、現役の高校生の前では口に出せない、あるは出しても仕方がない話題も増えてきた。

名実ともに「同窓生」になってきているんだな、と実感する。

少し嬉しく。

少し寂しく。

2009年5月2日土曜日

ゴールデンウィークについて。

今年も大型連休が始まってしまった。

日本は他国と比べて祝日が多いという。

しかし、それは「国公認でないと休めない」という日本人気質の裏返しでもあるように思う。

祝日なんて最小限にして有給、というよりヴァカンスが気軽にとれるシステムにすれば、祝日に観光客で芋を洗うような事態になることは避けられる、と直感的に思っている。

それが証拠に「家族サービス」の名のもとに、結局働いている方はゴールデンウィークも休めない。

もともと祝祭日と無関係な自営業などの方も、取引先が「休日だから」と休んでしまうので仕事が狂う。

観光業などに従事する方も、一般人が祝日にならないと旅行しないとなれば閑散期と繁忙期の差が激しくなり、ゴールデンウィークだけに特別イヴェントを組むようなことをしなければならなくなる。

これは誰にとっても不幸なように思うのだ。

さて、そんなゴールデンウィークを上手に乗り切る3箇条を考えた。

  1. 遠出するときは混雑を極力避ける
  2. 前述のとおり、この時期は遠出しようと考えている人で溢れかえっている。

    新幹線自由席と高速道路の使用は絶対に避けるべきだ。

    万一移動する場合は予約制の指定席などの使用を考えるべきだろう。

    高速バスは高速道路を使用するため基本的に当てにできない。

    高速道路で移動する場合、運転手の交替が望めないなら運転手は拒否すべきだ。

    特に帰りの渋滞で、仕事以上に疲れること間違いない。

  3. 近所の穴場を発掘する
  4. 遠出しないとなると、近所でさほど混んでいない場所を探すのがよいだろう。

    大きめの公園へ出かける、興味のある講演会や演奏会へ出かける、図書館へ出かける、前から気になっていた近所のお店へ行くなど、意外と近所の穴場は多い。

    特にお勧めしたいのが、都市部を散歩しながらの散策。

    普段と比べて業務用トラックなどが少ないため、空気が比較的綺麗になるからだ。

  5. 普段はあまり会えない友人と会う
  6. 相手が既に旅行を計画している場合は諦めるほかないが、通常の土日などでは会いにくい友人と会って話を弾ませるのが最も楽しいと思う。

今年の私はあまり会えない友人とのんびり話をしたり、図書館へCDを物色しにいくのを基本としている。

2009年4月30日木曜日

CDの蔵書数。

会社へ診断書を届け忘れていたため、本日は直接持参。

ついでに中央区と文京区の図書館をハシゴする。

所沢のCD蔵書数は都内各区に比べて圧倒的に少ない。

いわゆる「民度」の差だろうか。

それでも各区に特徴があり、文京区は全般に洋楽に強く、中央区は邦楽に強く、そして豊島区は戦後の大衆音楽に強い、ような気がする。

この「目的に応じて行く区を変える」ことができるのも東京の魅力の一つだろう。

2009年4月26日日曜日

映画音楽。

本日はこれまでの分類では分類不可能なバンドを見学に行った。

市民オーケストラとポップスバンドのいいところを混ぜたような、そんなバンド。

今年の演奏会は映画音楽特集だという。

知っている曲も多かったが、知らない曲もまたあった。

聴いたことの無い方がその曲に触れる瞬間こそ、その曲の真価が問われるときではないだろうか。

その意味で、映画音楽はいい音楽が多いと思う。

映画音楽は「聴いたことのない方」をシーンへ引き込むという使命を背負っているからだ。

最近の映画音楽には魅力的なメロディが少なくなったように思う。

緊迫感溢れるシーンでこそ、ドラムやリズムだけでない、何かの聞かせどころだろうに。

2009年4月25日土曜日

選挙なんか行かない。

筆者ウェブページ「すなおなおと」でも書きましたが、あまりに衝撃的だったのでここにも掲載します。

本日、20代の私は、今後当分の間投票をしないことを宣言します。

統計局がまとめた2008年10月1日の人口推計を参考にすると、20歳以上50歳以下の人口はおよそ51'000'000人、一方51歳以上の人口はおよそ53'000'000人です。

つまり、仮に2008年10月1日に国民投票を実施した場合、51歳以上の人がすべて同じ投票をすると、多数決で勝つのです。

この現実を目の当たりにした私には、選挙で政治を変えられるとはとても信じられません。

2009年4月24日金曜日

Sibelius登場。

遂に私のPCに音楽環境が登場した。

Sibelius 5.1である。

認証の制約がキツく、3台目以降のPCでは保存機能が無効になってしまう上、2台で同時にSibeliusを起動させることはできないようになっている。

それでも楽譜作成を主眼に置きながらMIDIシーケンサとしての機能も立派に果たしているので、かなり活躍してくれそうだ。

2009年4月22日水曜日

厳しい一日。

考えてみると、昨日パキシルを飲み忘れている。

道理で辛いわけだ。

自律神経が完全に乱れ、発汗、悪寒、四肢の震え、吐き気に苛まれる。

とりあえず目標としていた東京都豊島区の図書館カードを作る。

近隣自治体に住んでいればカードは作れるとのことだった。

東池袋の再開発地区に建った新図書館の設備と蔵書には圧倒されるが、CDに関しては残念ながらそれほどでもない。

しかし、これで東京都区内で合計30点くらいはCDが借りられるようになった。

その後主治医面談。

本日はパキシル切れで非常につらいが、全体としては朝起きて夜寝る生活が維持できているはずだ。

GWにそれを崩さないように注意。

2009年4月21日火曜日

音楽は必要なのか。

カナダへ留学している後輩が心理学のレポートで高得点を叩き出したというので拝読した。

音楽は生存するために不可欠な要素ではない。

しかし、音楽を聴いた時、脳は食事を摂ったときのような非常に原始的な反応をするという。

とは言え、音楽を「環境に適合した結果、ヒトが普遍的に獲得したもの」と考えられるのかどうか。

この問題について考察した力作だ。

大学在学中の恩師の著書に「文化はヒトが生きるための道具」という表現があったような気がする。

ヒトは非常に未熟な状態で生まれてくる上、狩りをするにも暖を取るにも道具が必要であり、生物的にはかなり不完全だ。

確かに木の実を採集し、暖かい場所を探して動き回れば、道具が無くてもヒトも何とか生存できるだろう。

しかし、恐らくは森を追われて地上に追われた我々の祖先は、道具を使って狩りをし、火を使って暖を取り、衣服を繕い、言語を介して情報を交換して、より確実にその地域で生存するための技術、いわゆる「文化」を身に付けてきたはずだ。

ということは、文化が無くてもヒトは生存できることになる。

その意味では、どこまでが「生存するために不可欠な要素」なのか、それ自体が曖昧である。

また、レポートには「子守唄は普遍的である」という考察がある。

極端なことを言えば、ヒトは胎児のときから母親の鼓動を聴いて育つのだ。

会話にもペースがある。

ヒトの生活には、実はリズム、テンポ、メロディなど、音楽の原型となるものがあふれているのではないだろうか。

以上から、私は直感的に「音楽は文化であり、文化はヒトに不可欠なので、音楽は不可欠である」と考えている。

そもそも「音楽は生存するために不可欠な要素ではない」という主張自体「生存」という言葉を「死なないでいられる」という消極的な意味でしか捉えていないのではないだろうか。

バリ島のケチャやアフリカの民族音楽など、世界には生活に根ざした音楽がたくさんある。

そして、それを彼ら彼女らからとり上げて禁止した場合、彼らは「生存」はしていけるだろうが、これまでどおり「生活」していけるだろうか。

生存権を保障する日本国憲法の条文を借りて「生存」という言葉を「健康で文化的な生活を送る」と考えるなら、やはり「音楽は生存するために不可欠な要素である」のではないだろうか。

2009年4月20日月曜日

前向き。

今を前向きに捉えるのは、ただの過去の言い訳。

これからを前向きに捉えるのが、大切。

2009年4月19日日曜日

芝桜。

思い立って、秩父の羊山公園まで芝桜を見に行くことにした。

池袋から電車で2時間、丘への上り坂を15分ほど登ると。

これは凄い。

すり鉢状になった場所から、両側が芝桜で埋め尽くされた様が見渡せる。

ご覧の通り色もさまざまで、足首くらいまでしかない花の背の低さも相まって、まるで花が織りなす絨毯のようだ。

通り抜けるだけならのんびり歩いても10分かからないのだが、尾瀬の湿原に来た時のようにゆっくりゆっくりと通って芝桜を満喫する。

花の香りもするので、中心に立つと自分が別世界に来たような気分になる。

一口に芝桜と言っても、色だけでなく花びらがパンジーのように大きなものから忘れな草のように可憐なものまで様々だ。

これは比較的花びらが細く、色も穏やかなオータムローズという品種。

この他にも羊山公園には様々な品種があり、

  1. 白く細い花びらの「リトルドット」
  2. 白く細い花びらで、葉とのコントラストが綺麗な「ホワイトディライト」
  3. 白く少し大きな花びらで、付け根に少し朱が入った「アメイジンググレイス」
  4. 淡い青紫の「オーキントンブルー」
  5. 強いピンクで花びらも大きい「マックダニエルクッション」
  6. 細い真紅の花びらを持つ「スカーレットフレイム」
  7. 白い花びらに薄い紫の線が入った「キャンディーストライプ(通称「多摩の流れ」)」

など、様々な品種がある。

もちろん羊山公園には無い品種もあるので、興味のある方は検索してみてはいかがだろうか。

こちらは丘の上からの眺望。

今が満開、日曜日とも重なって人出も多かったが、香りも良く、遅咲きのソメイヨシノが花吹雪のオプションまで付けてくれて、ところどころに八重桜も咲いていて、本当に満喫できた。

さくらソフトクリームも桜餅のようなわずかな刺激があって美味しかった。

これは帰り道の道端。

秩父は「花の里」と銘打つだけあって、道端にも芝桜やスミレ、菜の花などが咲いている。

帰り道までも楽しめるのだから、これで池袋から往復1'500円なら、小さな旅としては最高だと思う。

ボウリングとカラオケを梯子するよりも安いのだから。

もっとも、自然がそれほど好きでない方にまではお勧めできないが。

芝桜の見どころは他にもあるという。

来年はそういった場所にも行ってみようかと思う。

【楽天市場】芝桜専門店「トムテック」

http://www.rakuten.co.jp/tomtec/797447/

様々な芝桜の品種について知ることができる。

2009年4月16日木曜日

眼力!

めじから、がんりょく、がん(飛ばす)ちから。

いわゆる「眼光」である。

本日は産業医面談日。

先月に札幌支店へご挨拶に行った際、そのまま支店に置きっぱなしになっていた社員証が手元に戻ってきたので、何の問題もなく施設へ入れるようになったのが最も嬉しい。

これまでは「不所持」という冷酷な扱いをされていたのである。

そして、肝心の診断結果は「まだ眼光が鋭い」つまりまだ躁状態ということだった。

来月までにもう少し薬を減らすことも検討してはどうかとのこと。

まだ躁状態というのは少し悔しい。

先月より大分落ち着いたと思っていたのだが。

悔しいので近くの日本橋図書館まで行って中央区立図書館のカードを作り、CDを借りてきた。

特に"Barry Manilow / Singin' with the Big Bands"は聴くのが楽しみだ。

2009年4月15日水曜日

『証券会社にダマされるな!』

水曜日はスポーツクラブの定休日。

本日はその近辺にある図書館でポルトガル語の学習。

ついでに、とばかりに本棚を眺めてみたら、面白い本が見つかった。

著者の喜多弘樹は証券会社の本社部門を経験し、長年証券アナリストを務めた人物であるようだ。

タイトルもさることながら、目次の見出しがまた面白い。

  1. 所詮「株」は博打だ
  2. 新商品には近寄るな
  3. アナリストのレポートなどアテにできるか
  4. 日経新聞は読むな
  5. 相場はこうして作られる
  6. 「福の神」証券マンを見分けるコツ

特に「相場はこうして作られる」は圧巻だ。

相場操縦は不可能なことであり、それこそ「博打」に敗れた人の遠吠えだと思う方もいらっしゃるかもしれない。

しかし、僅かながら証券業の経験を持つ私には、ここに書いてあることは実現可能だと実感を持って確信できる。

また「新商品には近寄るな」で指摘されているEB(仕組債)の危険性にもうなずける。

EBは株価が下がらない限り大概10%以上の高金利が期待できる債券である。

しかし、株価が上がっても得られる利益はその金利だけ。

一方で株価が下がればたちまち元本割れし、紙くずと化す恐れすらある。

個人投資家からすれば、直接株式を買った方がよほどいい。

株式と同じリスクがあるのに、株式より低いリターンしか期待できないからだ。

ここでは「本当にお客さんのためを考え、儲けさせてくれる証券マン」を「福の神」と表現し、それは「出世欲のない一匹狼」「勘と度胸で銘柄をすすめる」「会社ではなく、個人を売り込む」などのタイプだとしている。

確かに私には出世欲は無いし、勘に近い確信を持って銘柄を勧めてきたと思うし、個人を売り込むことを意識してきたつもりである。

あと私に必要なのは、とにかくお客様との出会いの数を増やすことなのだろう。

喜多弘樹『証券会社にダマされるな!』サンマーク出版、2001年。

2009年4月14日火曜日

続いてフィンスイム初体験。

本日もスポーツクラブへ。

午前からフィンスイムがあるというので、今回はプールにも行ってみた。

足にゴム製のヒレを付けて泳ぐのだが、これがまあ進む進む。

先生が「魔法のフィン」とおっしゃるのも頷ける。

困ったことと言えば、フィンを外した後にクロールや背泳の速度がガクンと落ちること。

これではフィンなしではやっていけなくなってしまう。

それでもクロール、平泳ぎ、背泳を一通り。

バタフライは筋力不足でまだできないので、今度初心者クラスにでも通って教えてもらおうと思う。

2009年4月13日月曜日

スポーツクラブ初体験。

自宅から歩いて30分かからない場所に、スポーツクラブがある。

医師の許可を書面で得てきたので、本日入会した。

身体測定をしていただいたところ、脂肪量は低いものの筋肉量も著しく低い。

見事に「運動未経験者」の体型に当てはまってしまった。

トレーナーの方に全身の筋肉量アップのためのプログラムを組んでいただいた。

「筋肉痛が来なかったら運動不足だと思ってください」

「徹底的に(身体を)イジめてください」

とのことだが、もともと私は高校時代に後輩から「そんなに自分をイジめて楽しいですか?」と言われたことがあるような人間だ。

躊躇うことなく取り組むつもりである。

2009年4月8日水曜日

体調確認の日。

本日は主治医診察日。

以前は毎週通っていたが、投薬内容がほぼ安定した現在は2週間に1度へと減った。

タイトルにあるとおり、現在では体調を振り返る良い機会となっている。

夜に布団に倒れこむと虚脱感に襲われて薬を飲みに行けず、かといってそのまま寝ると夢の大軍に焼き討ちされて1時間で目覚めてしまうのが最大の悩みだ。

布団に倒れこんだときの虚脱感ごときに敗れ去る自分が情けないが、事実何度も敗れてしまったのだから別の対策を立てるしかない。

とにかく「布団に倒れこむ」ことを予防しよう。

2009年4月4日土曜日

Does Japan have no weapons?

時間ができたので、物見高い根性を発揮して防衛省まで迎撃ミサイル発射装置PAC3を見に行くことにした。

事前準備を何もしていなかったので、市ヶ谷に到着してから散歩がてら、そして桜を見上げがてら、防衛省のまわりを歩き回る。

各門とも厳重警備だったが、最後に行った左内門から見えた。

中央に斜めにそびえる、桜の色にはあまりに似つかわしくない迷彩色の機械が発射装置だ。

プレスの方、一般の方、足を止めて御覧になっている。

外国の方がいらっしゃったのが印象的だった。

最初は、単なる興味本位で足を向けた。

テレビで観てもあれはおもちゃのような、別世界の話のような気がしていた。

しかし、現実に目の前にあった発射装置は紛れもなくミサイルを撃ち落とすためにミサイルを発射する機器であって、平和な国とされている日本にはあるはずのないと思っていたものだった。

あれを目の当たりにしたとき、私は「日本は平和だと言う人は、おしなべてこれを見に来なければならない」と痛感した。

日本には憲法がある。

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

しかし、誰が何と言おうと、私にはミサイルを吐き出すあの装置が武力でないとは思えない。

あれが戦力でないとは思えない。

日本を守るためにミサイル防衛システムが必要なのだという論調があることくらい、私も承知している。

しかし、あの異様な装置を目の当たりにし、そしてそれがどこかに保管されていたという事実を突き付けられたとき、私は憲法が建前に過ぎないことを「身をもって」実感させられた。

その後母校へ寄ってみると、野球部が練習をしていて、軽音部が仲良くしゃべっている。

でも、その瞬間も市ヶ谷ではミサイルが空を向いている。

涙がこぼれた。

2009年4月3日金曜日

卒業論文。

残る段ボールは厄介者ばかり。

昨年引っ越しして以来、札幌で半年生活している間、一度も開かれなかった連中だ。

はっきり言って「日常生活には要らないもの」である。

具体的には高校時代に作られたクラスTシャツなどと、浪人時代に使った参考書とそれの自分なりの解答。

そして小学生時代の作文や中学生時代のプリントなど。

いわゆるメモリアルグッズ。

自分の歴史を物語るアイテムの数々だ。

中でも卒業論文「捕鯨問題と日本人」は当時の持てる力を全て出して書いた力作と自負できるもので、出てきた途端懐かしくて読みふけってしまった。

たった45ページ、行間はダブルスペースというとてもじゃないが大作とは呼べないものだが、30分で読めるその文章の中に、私が捕鯨問題と向き合うときの姿勢が全て書かれている。

ゆくゆくは再び学問の扉を開いて、研究にふけり卒業論文を書いてみたい。

書きたいテーマは既にある。

ただ、それは57歳までに書けばよいものだ。

今は治療と、そしてその後に待っている社会経験を大切にしたい。

2009年4月2日木曜日

お引っ越し・開梱編。

本日は家族総出で和室を占拠している段ボール箱を制圧。

目玉の38型プラズマハイビジョンテレビを設置。

重複した台所用品と風呂用具は他人にあげられるものでもないし大半を処分。

段ボール箱を1つ1つ潰していくのが快感となるナチュラルハイモードに突入しつつも、15箱近くを退治した。

ちょうど明日は不燃ごみの日。

2009年4月1日水曜日

新社会人のみなさんへ。

今日は入社式の日。

まさかそれがエイプリルフールというわけではないだろうが。

私も昨年の4月1日に社会人になった。

その時の訓示は今でも覚えている。

「みなさんはツイてます。時代は貯蓄から投資へ。そして戦後最長の景気回復。明るい未来が待っています!」

その後の1年間がどんな年であったかは、説明する必要もあるまい。

きっと今年の訓示でも「みなさんはツイてます。100年に1度の金融危機。もうこれ以上下がることはありません。明るい未来が待っています!」とでも演舌をぶたれるのだろう。

それが社会だ。

「こんなことになるとは予想できませんでした」といけしゃあしゃあとのたまうのが社会人。

新社会人のみなさんは、これからそんな連中の間で生きていかなければならない。

人間でもない会社が、人間より偉いはずがないのだ。

会社はキャリアアップの踏み台。

それぐらいの強気でいても大丈夫だ。

新社会人のみなさんが、今後幸せな人生を築いていけますように。

2009年3月31日火曜日

メディカルプロブレム!

近所のTIPNESSが3月入会キャンペーンをやっている。

保健師さんから平日の生活時間を勤め人並みにするよう言われているので、平日デイタイム会員にでもなって通ってみようと門戸を叩いた。

しかし!

パニック障害経験者の私は医師の承諾を書面で持ってこないと入会できないらしい。

確かにプールで過呼吸でも起こしたら下手しなくても死ぬだろう。

次回診察の4月8日以降に持ち越しだ。

幸い4月入会キャンペーンも打つらしいので、そのときにまた検討しよう。

2009年3月30日月曜日

REUSE

リユース!

♪くりかえーし つかーおー♪

引っ越しに伴い重複してしまった冷蔵庫と洗濯機は、私の友達がこの4月から新生活を始めるというので引き取ってもらえることになった。

マツダのボンゴバンを借りて、私と友達の2人で冷蔵庫と洗濯機を運び入れ、私の住む所沢から真南にある立川まで運ぶ。

立川までは狭山湖の横道を抜けて1時間。

途中、多摩都市モノレールの下を通る道に入れば後は南下するだけだ。

お届け先は新築のマンションで、まだ共同スペースに養生が施してある。

2人で2つの家電を運び上げるのは少々大変だったが、まあさすがにたった5分で梱包された中身も知れない代物(実際は冷蔵庫だが)を盗んでいく輩もおるまい、ということで2回に分けて運び上げる。

洗濯機の取水栓を取り付けるのに一苦労したが、基本的には問題なく配置完了。

この友達は4月1日から新社会人だ。

その割にベッドが4月5日まで届かないとかガスの開栓が明日だとか、まだ生活できる状況には程遠いのが少々個人的には不安だが、いきなり札幌支店配属だった私とは違うので大丈夫だろう。

家も近いし、今後ともよろしく。

2009年3月29日日曜日

お引っ越し・搬入編。

本日は札幌から荷物が届く予定。

午後2時頃とうかがっていたので、早めに腹ごしらえしようと吉野家へ出かけたところ。

左面に「札幌」と大書されたコンテナ。

これだ、これに間違いない。

実際2時間後、これが自宅前に現れた。

作業はものの40分で済んだが、1階の和室が段ボールに立て篭もられている。

家族総出で開梱できるのは4月2日の見込み。

2009年3月26日木曜日

お引っ越し・出発編。

社宅の引き払いのため、札幌へ行った。

1日で荷物の搬出、ガスの閉栓、不動産屋の立会、支店への挨拶を全て済ませる強行スケジュールだったが、札幌に気軽に来られるほど財布は重くない。

搬出は一部の食器を預け忘れたもののほぼ無事に完了。

搬入は29日を予定している。

不動産屋の立会も問題なく完了した。

支店の上司とも笑顔で別れることができた。

復職したらまたお電話して、復活をご報告するつもりだ。

最後に支店を出た時には粉雪がちらついていた。

思えば、最初に札幌へ赴任してきた日も粉雪が舞っていた。

雪とともに、今回の札幌生活は幕を閉じる。

じゃあね、札幌。

またね、北海道。

2009年3月25日水曜日

減量中。

もちろん体重ではなくクスリである。

本日はいつもの主治医面談。

先週に産業医から「元気すぎる」と告げられたことを報告した。

先生も昨日の記事に書いたAERAの記事についてはご存知だったようだ。

パキシルを30mgから20mgへ減量することになった。

20mgは私が最初に精神科を訪れたときの投薬量である。

この半年、様々な時期を経て、ようやくここまで戻ってきた。

20mgでも1ヶ月問題なく過ごせることを示せれば、復職への道も具体的に見えてくるだろう。

2009年3月24日火曜日

SSRIの攻撃性について。

「AERA 2009年3月30日号」の中づり広告を見て凍りついた。

妻殺害、SSRIなどの文字。

SSRIは私が毎朝飲んでいる「元気になるクスリ」の総称である。

自分の飲んでいるクスリの隣に「妻殺害」などと書かれていては買わざるを得ない。

記事の見出しには「スクープ 『攻撃性』副作用の報告相次ぐ」とある。

記事内にも以下に引用するような文章がずらり。

あらかじめ断っておくが、記事の内容を捻じ曲げるような引用はしていないつもりである。

  1. 「衝撃的だったのは1998年2月に米ワイオミング州で起きた銃乱射事件だ。パキシルを服用した男が、妻と娘、孫の3人を射殺、自らも命を絶った」
  2. 「パキシルの添付文書に(中略)『自殺に関するリスクが増加する』との『警告』」
  3. 「04年4月~08年11月の4年半に製造元4社が提出した副作用報告書は、40例に上った。内訳は、パキシルが断然多く28件」
  4. 「攻撃性を示すSSRIの副作用の症例報告件数を年度別に見ると、05年度が1件、06年度は5件だったが、07年度には26件と急増」

パキシルは同記事によれば「国内の服用者は100万人を超え」とある。

その全部がこのような攻撃性を示すとは考えにくいし、週刊誌の書くことだから少し割り引いて考えるにしても、看過できない内容だ。

言われてみれば、家庭内での私の言葉も最近攻撃的になってきているように思う。

私が気力を取り戻すほどに回復したとも言えるし、パキシルのせいだとは一概に言えないが、実際に3月は口喧嘩が増えた。

いずれにせよ、自省と自制が必要な時期にはさしかかっているのだろう。

辰濃哲郎・今岡洋史「AERA 第22巻15号通巻1157号」『抗うつ剤で「妻を殺害」』朝日新聞出版、2009年3月30日。

2009年3月23日月曜日

セミナー。

母校の高校が同窓生を講師に招いてセミナーを開くということだったので参加してみた。

カンボジアで活動している先輩と、ケニアで社長をしている先輩。

お2人とも「お話を伺いたい」と私が申し出ても忙しくてそれどころではない方々であり、講演を聴けたのは素直に貴重な機会だったと思う。

何らかの挑戦心で活動している諸先輩を見ると、自分も元気づけられる。

2009年3月22日日曜日

『図解 安岡正篤の行動学』

以前、経営者に影響を与えた言葉を集めた本を読んだとき、多くの経営者が挙げていた人物の一人が安岡正篤であった。

恥ずかしながら、私は彼のことを全く知らなかったので、ある程度わかりやすそうな本を探してきた。

安岡正篤(1898-1983)は陽明学の開祖である王陽明について研究した「王陽明研究」を大学卒業時に発表して、陽明学者として名を馳せた。

その後それを実践するために政治家や経営者の教化に努めた人物である。

昭和天皇の玉音放送の草案を推敲したとされ、また本人は黙して語らなかったが「平成」という元号も彼が考えたと言われている。

正直なところ図解は全く役に立たなかったので、本文だけを読んだ。

大学の通常の教科書くらいの難しさなので、少々苦労はしながらも読めないことはないだろう。

全140ページで6章からなり、私の読了時間は2時間。

第1章、第2章、第5章、第6章は比較的面白かったが、第3章と第4章はビジネス書にありがちな「心得の箇条書き」が大量に出てきて正直覚えきれないので諦めた。

要するに陽明学とは「知識を活用して行動に移す」ことを重要視するものであって、そのためには素直な感情を表しつつ静かな心を保ち、物事の原理や原因を知り、物事の変化の方向性を予測し、広い寛容な心を持ち、全体を見通して決断を下すことが必要である。

これでこの本の内容は実質的に十分だ。

ただしかなり端折ったので、興味を持った方には一度パラパラとめくってみることをお勧めする。

武田鏡村『図解 安岡正篤の行動学』東洋経済新報社、2004年。

2009年3月21日土曜日

親の心子知らず。

仕事のヤマを越えた両親と家族会議。

私の発言が癪に障ったらしく、父にかなり怒られてしまった。

開き直りであることを覚悟で書くが、私は親になったことが無いので親の気持ちがわからない。

私の発言が彼をどのような気持ちにさせたのかわからない。

親は常に私の人生の先を行く存在だ。

私が子を持たない限り親の気持ちはわからない。

しかし、そのときに親は祖父母になるわけで、祖父母の気持ちはそのときの私でもわからないだろう。

結局、一生彼らの身になって考えることはできそうにない。

それでも、可能な限り彼らの気持ちには配慮しなければならない。

気をつけるしかないだろう。

2009年3月20日金曜日

音楽の一体感。

二ノ宮知子「のだめカンタービレ」に、主人公の千秋真一が「音に酔う」シーンがある。

全員がいい演奏をしているのに、演奏に必死で誰も千秋様の指揮を見ていないため、演奏がわずかにずれている状態のことだ。

千秋様はそれに耐えられず指揮台で倒れてしまう。

千秋様ほど純真でなくても、かように演奏のズレは気になるものだ。

全員が同じビートを感じていないと演奏者同士での一体感は生まれないし、本当の楽しみも感じられない。

そうならなければ、きっと聴いている方々が楽しくなるための下地は整わないだろう。

2009年3月19日木曜日

元気すぎる。

本日は恒例の産業医面談。

クスリの飲み忘れがない限り、調子は基本的に良い。

また、最近は「自分が無理をしようとしている」「不必要に急いでいる」といったことが自覚できるようになった。

そのため自制はしていたつもりだったのだが、相手はやはりプロ。

「元気すぎる」と見抜かれてしまった。

恐らく抗鬱剤の効き過ぎなのだろう。

来週主治医にかかるときに相談してみようと思う。

2009年3月18日水曜日

アマチュアの宿命?

本日聴きに行ったライヴは、まさに私が陥りたくない罠にはまってしまったライヴだったと思う。

2009年3月1日の記事でも書いたが、自らの演奏技術を見せつけるだけでは、演奏会ではなく発表会だ。

加えて、譜面が無いだのプレイヤーがいないだの礼のタイミングを見失うだの舞台進行が滅茶苦茶。

次の約束があったとは言え、アンコールせずに帰ったのは久々だ。

最大の問題は、演奏から一体感が感じられないこと。

各プレイヤーが出しているビートがずれていて、のだめカンタービレ風に言うなら音に酔いそうになるほど。

アマチュアは、プロと違ってお客様から代金をいただくことが目的ではない。

だからアマチュアビッグバンドのライヴが発表会になってしまうのは、ある程度仕方がないことだ。

しかし、お客様がわざわざ足を運んでくださって聴いていただいている、という意識を見失うことは、アマチュアであろうと許されないように思う。

2009年3月17日火曜日

『会社のことよくわからないまま社会人になった人へ』

最近少しペースが落ちたが、読書は相変わらず続けている。

何せ都心へ出るのに電車で30分以上。

1章くらい軽く読める。

今回読んだこの本は、まさに私のためにある本だと思う。

著者はNHK週刊こどもニュースで長年お父さんキャスターを務め、現在は文筆活動をしている池上彰。

週刊こどもニュースの頃からそうだったが、わかりやすく丁寧な表現が気に入っている。

ページ数の割に1ページあたりの文字数が少ないので、私は合計60分で読破した。

大学で学んだ頃から、私は先頭から本を読むのを止めた。

良い本は、どの章から読んでも面白いようにできている。

だから興味のある章から読んで、それを読み切ってから先頭から読み直せばいい。

これから就職するという方は以下の節が面白いのではないだろうか。

  • 1-2 : 始まりはみんなベンチャーだ
  • 1-3 : 採用試験は会社側も選ばれている
  • 2-2 : 会社の上の組織を見れば、会社の性格も見えてくる
  • 3-4 : 「余人を以て代え難い」では会社はダメになる
  • 4-5 : 労働組合は会社の健康診断をしている
  • 5-1 : 人気企業は成熟しきった会社
  • 5-3 : 「会社員」であっても、会社とはまったく別の世界を持ってほしい

加えて、すでに社会人となった私にも以下の節が面白かった。

  • 1-4 : 社会に役立つ会社かどうかが問われている
  • 3-2 : アメリカの大企業の多くは終身雇用だ
  • 4-1 : 仕事が終わったら、さっさと帰ろう
  • 5-2 : とにかく三年我慢してみよう

春は就職戦線が最前線だ。

面接から帰るときなど、少し気を休めて読んでみるのもいいのではないだろうか。

池上彰『会社のことよくわからないまま社会人になった人へ』海竜社、2005年。

2009年3月16日月曜日

e-Taxようやく。

本日、期限ギリギリだったがe-Taxで確定申告を済ませた。

正確には還付金請求か。

前回失敗した初期登録とやらを行うために、作業をすべてやり直した。

5'000円を手に入れるのに要した苦労は計り知れないが、これも社会経験か。

2009年3月15日日曜日

合唱曲。

本棚から発掘されたのは。

北多摩中学校音楽教育研究会[編]『ニューコーラスフレンズ』教育芸術社、1996年。

いわゆる中学校の合唱で使われる「歌集」である。

しかも20世紀の。

中学時代の自分の書き込みがあって顔から火が出そうになったりしたが、久々に合唱曲に触れた。

中学時代の私はピアノの方がずっと好きだったが、現在では歌も大好きである。

改めて弾きながら歌ってみると、中学時代には見つけられなかった新たな発見があったりする。

  1. 歌詞がこっ恥ずかしい
  2. 基本的に、中学校の合唱曲の歌詞はクサい。

    いい例は芙龍明子作詞「夢の世界を」と浦河堤作詞「風になりたい」か。

    歌詞だけ取り出して読むととてもじゃないがこっ恥ずかしくて読めない。

    中には岩沢千早作詞「遠い日の歌」のようないい曲もあるのだが。

    ところで、私は中学校で歌詞だけを取り出して読んだ記憶がない。

    本来なら気持ちをこめて歌うためにも、歌詞だけを取り出して読み合わせする必要があるように思う。

    この段階であまりにこっ恥ずかしい曲は、やはり歌うときもちょっと恥ずかしいように思う。

  3. 歌詞がいい曲と、音楽としていい曲は違う
  4. 例えば明石潤祐作曲「フェニックス」は音楽としてかっこいいが、歌詞はそれほど作りこまれていない。

    一方、富岡博志作詞作曲「明日へ」は音楽こそありきたりだが、歌詞はとてもよくできている名曲だ。

    新川和江の詩に飯沼信義が曲を付けた「名づけられた葉」はよくできているとは思うが、詩の良さを乗り越えられるほどの力は無いように思う。

    中には谷川俊太郎の詩に木下牧子が曲を付けた「春に」のように、大事な二行をカットして曲を付けるという原作レイプとしか思えない作品もある。

    こうなると、歌詞も音楽もいい曲がベストということになる。

    個人的には谷川俊太郎の詩に大熊崇子が曲を付けた「じゃあね」と、松前幸子作詞・川崎祥悦作曲の「山のいぶき」が大好きである。

  5. 曲の経緯についての情報があまりに少ない
  6. 岡田冨美子作詞・東海林修作曲「怪獣のバラード」は現在では合唱曲の定番だが、もともとはNHKの歌番組で流れていた曲だ。

    大木淳夫作詞・佐藤眞作曲「大地讃頌」はカンタータ「土の歌」の一部で、しかも長二度低い音程に書き直されている。

    荒木とよひさ作詞・三木たかし作曲「心の瞳」や、かぜ耕士作詞・中村八大作曲「涙をこえて」は坂本九の名曲だし、北山修作詞・加藤和彦作曲「あの素晴らしい愛をもう一度」は知っている人なら言わずと知れたフォーククルセイダーズの代表曲である。

    しかし、こういったことは中学校で習った覚えは全くない。

    どれも高校生になってから、知り合いに教えてもらったり自分で調べて知ったことだ。

    これでは原作を尊敬する気持ちや、当時の時代に興味を持つ機会が生まれなくなってしまうのではないかと思う。

別の視点から歌集を見るのも、また面白い。

2009年3月13日金曜日

うつ病とは。

私は、悪い意味で若かった。

自分の限界を知らなかった。

自分の限界がわからないと、好きなことに際限なく手を広げて、どんどん忙しくなっていく。

本人は好きなことをしていて楽しんでいるから、自分の限界なんか見えていない。

しかし客観的に見れば、予定を詰め込みすぎていることぐらい誰が見てもわかる。

そんな状態の人、このブログをご覧の皆様の周りにはいらっしゃらないだろうか。

しかし、肉体的な限界はやってくる。

恐らく、鬱というのはそんなときに身を守るための反応なのだと思う。

鬱とは、好きだったことに対しての興味を失うことで忙しさから身を守り、肉体的な限界を迎える前に身体の状態をクールダウンさせるためのシステムなのではないだろうか。

そう考えれば、忙しい人ほど鬱病になりやすいのも無理のないことだ。

また、肉体的な限界に正直に反応して、無理しすぎることのない人が鬱病とは無縁であることも頷ける。

自分の限界を超えたとき、周囲に掛ける迷惑は計り知れない。

そのことは札幌で救急車で運ばれて、身をもって実感した。

自分の限界を認識し、それを超えないように自分を制御することも、大人であるためには必要なのだろうと思う。

2009年3月12日木曜日

紳士。

私は、紳士でありたい。

一口に紳士と言っても、紳士たるものどうあるべきか、は人によってイメージが違うだろう。

しかし、少なくともこれくらいはできなければならない、という共通認識はあるのではないだろうか。

  1. 感謝の気持ちを忘れない。
  2. ヒトは1人では生きていけない。

    今歩いている道路、身に付けている衣類、持っている鞄、食べているもの、どれをとっても私以外の人が、それも複数の人が関わってようやくできあがったものだ。

    自分にできないことをしていただいたら、それに対しては感謝の念を持つ。

  3. 必要なら躊躇わず助けを借りる。
  4. 繰り返すが、ヒトは1人では生きていけない。

    人数が多ければ、それだけ大きなことを成し遂げることができる。

    自分だけではできないことが、みんなの協力によってできるようになるなら、そしてそれをすることがみんなの利益につながるなら、助けを借りることは決して恥ではない。

  5. 将来まで思いを馳せる。
  6. 自分の行動がどんな結果をもたらすか。

    その結果、自分や他の人々がどんな気持ちになるか。

    自分が推測できる範囲には限界があるが、少なくとも全くそれらを考慮しない人は紳士とは言えないように思う。

  7. 自分の利害と権利義務を意識する。
  8. それでも最後は、自分が生き続けることを優先せねばならないときもある。

    他人と利害が衝突するときは、相手のことを念頭に置きつつも、自分のことも意識していなければ他人に利用されるだけであって、紳士であり続けることは難しい。

  9. 成長する。
  10. 興味を持ったことを吸収し、自分ができることを広げる。

    より豊かな人生を送るためには必須の条件だろう。

こんなところだろうか。

紳士への道のりは長い。

それでも、私は紳士でありたい。

2009年3月11日水曜日

珍しく雑記。

まとまったことは無かったが小さなことはいろいろあった日。

午前中はe-Taxに再度挑戦。

Windows環境ではCUIを使わなければならない事態も起こらず、一括でツールはインストールできた。

ただし、国税庁のホームページには確認事項として「Internet Explorerを使用している」ことが利用条件と書いてある。

愛用のChromeを閉じて、このPCでは初めてIEを開き作業開始。

途中まで順調だったが、最後の最後で「初期登録が完了していません」という原因不明の一言で切り捨てられた。

午後から診察があるので再挑戦する余裕はなく、今回も断念。

本当に本気で普及させる気があるのだろうか。

午後はいつもの診察。

池袋と診療所の間を往復。

山手線が使えなくても往復45分歩けば診察は受けられる。

クスリを切らした日以外は体調も良い。

しかし泊まりのある旅行はまだ控えた方がよいだろうとのアドバイス。

実際、ソビエトロシアでなくても薬が睡眠時間の私を決定しているような現状では、泊まりがけは難しいだろう。

帰り道に猫と出会う。

目つきは少々悪いが人に愛されているのだろう、門に近づいたところその上に飛び乗ってきた。

そっと手をかざすと匂いと味を確認された上で接触を許可してくれた。

午前のことはこれで忘れられる。

そんな一日。

2009年3月9日月曜日

投薬状況。

現在の投薬について書き忘れたので、改めて書いている。

現在服用している薬は3種類。

朝にメインとなるSSRI型抗鬱剤パキシルを30mg、就寝前には睡眠剤ロヒプノールを2mgと、睡眠の質を安定させることも兼ねて眠気の副作用が強い抗鬱剤レスリンを100mg。

パキシルの服用を忘れるとその夜は焦燥感に駆られて何度も目覚め、睡眠が取れなくなる。

また、ロヒプノールとレスリンを服用せずに就寝すると深い眠りに入ることができず、何度も目を覚ます羽目になる。

いずれの場合も身体の疲れも精神の疲れも抜けずに焦燥感だけが残るため、非常に辛い。

この辛い瞬間を迎えると、自分が病人であることを再自覚させられる。

本日も疲れて帰宅してそのまま寝てしまったため断続的に目覚めている。

自業自得とは言えやはり辛い。

自分が生きているのではなく、薬に生かされているような気すらしてくる。

残念ながら、最悪の体調のまま異動に伴う転居の相談をしなければならなくなりそうだ。

2009年3月7日土曜日

現状整理。

最近、東京での活動が少し活発になってきたこともあり、これまでの足跡を振り返る必要が出てきたように思う。

簡単に整理してみたい。

4月

入社。札幌支店への配属を通達される。

東京での研修期間中に10人弱の知り合いをつくる。

札幌到着日、機上から海を越えて北海道の大地が見えたとき、本州を飛び出したということを痛感。

更に到着後市内へ向かうバスでは窓の外を小雪が舞い、地の果てを連想させる。

5月

本格的に営業活動を開始。

電話も掛けられず苦悩する日々。

物件も決定して一人暮らしも始まる。

自分の根城を手に入れたことに浮かれて38型プラズマフルハイビジョンテレビを衝動買いする。

6月

初めての新規公開株営業。

お客様へのご案内に徹する必要性を痛感。

支店での親睦行事としてゴルフに参加。

1週間前に同期の同僚のクラブを借りて練習場で少し球を打った後、前日にゴルフクラブを購入し、試し振りもしないまま当日コースへ乗り込むという暴挙に出る。

当然記録は175打とボロボロ。

7月

環境関連銘柄の公募増資営業。

自らが関心を持つ業種とあって全力を挙げる。

札幌は冬になると外出ができないと判断し、自転車で市内各地を回りながら営業を続ける。

往復3時間くらいなら苦にはならない。

8月

これといった記憶がない。

訪問営業がうまく行かず悩むが、電話営業の方法をほぼ確立。

この時期から一人暮らしに綻びが現れ、朝食はコンビニおにぎり、昼食も夜食も外食、という生活に。

9月

睡眠障害発生。午前3時には目が覚め、そのまま眠れないという症状が上旬から続く。

疲れがうまく取れない状態のまま仕事を続けた結果、18日の朝に意識を失って自宅で倒れ、心配して自宅まで見に来てくださった上司が私を発見、救急車で搬送される。

うつ病によるパニック障害が引き起こした過呼吸と診断されるが、この事件が引き金となって会社へ行けなくなる。

投薬治療開始。

10月

両親が札幌を訪問、支店との三者面談の結果、実家療養が必要とのことになり帰省する。

これまで6ヶ月間にわたる全力全壊のオーバードライブモードがたたり、帰省後も睡眠障害が抜けないなど、緊張が常に維持された状態が続く。

11月

このブログ「私の日記はGMT」を開始。

眠くなって当然の投薬を受けながら全く眠気を感じない日々が続く。

主治医の判断で強力な睡眠薬を使用することになるが、それでも日中は活動できてしまうほど。

12月

先月処方された薬の副作用で薬疹が現れ、服用を断念。

眠りがうまく取れないままの生活が続く。

1月

新年を迎え、ようやく心のエンジンが諦めたのか、気持ちがある程度穏やかになる。

みんなで楽しめるもの、をコンセプトにしてお年玉を選んだ結果、WiiFitを購入。

見事に母と私がハマり、運動する習慣ができる。

2月

睡眠時間こそまだ不確定だが、心には余裕が出てくる。

会社とはどういうものなのか、自分の性格の特徴は何か、などを考えるようになる。

3月

辞令発令、札幌支店への復職という路線は無くなる。

ただいま引っ越しに備え部屋の整理中。

こうして見ると、発病後はいろいろありながらもある程度順調に推移しているようにも見える。

営業を、つまりは仕事をしたい気持ちは今でも変わらないが、おそらくその気持ちに急きたてられて復職してしまうと、また私は倒れてしまうだろう。

主治医の先生などとも相談しながら、焦らずに復職へ向けて進んでいきたい。

2009年3月6日金曜日

Sa parlare italiano?

高校時代の同期が大学院修了記念に友達とイタリアへ出かけるらしい。

1年間だけだが私もイタリア語を勉強したことがあるので、基本単語を教えてきた。

学校で習う表現と、旅行で使う表現は違うことが多い。

旅行では「わかりません」などの方が「名前は直音です」「はじめまして」よりは重要である。

旅行で必要になりそうな表現をちょっと一覧にしてみる。

  • ごめんなさい。
  • お願いします。
  • ありがとう。
  • わかりません。
  • (ものを探しながら)持っていますけど……
  • 「これ」は(イタリア語で)何と言いますか?
  • (地図を見せながら)ここはどこですか?
  • (値段)高!
  • 忘れました。
  • したいんです。
  • 欲しいんです。
  • しなきゃいけないんです。

こんなところだろうか。

旅行に行けるまとまった時間を取れるのは学生のうちくらいだろう。

楽しく安全な旅行になるよう願うばかりだ。

2009年3月5日木曜日

異動。

本日3月5日(木)付で、札幌支店から本社への移動が発令された。

名実ともに首都圏の人間となる予定。

これに伴い引っ越しなどで少々忙しくなりそうだが、包み隠すことなく東京で活動できるのは嬉しいことだ。

札幌には知り合いも少なかったし、情報交換も簡単にはできなかったことを考えれば、東京はやはりいい。

東京方面の知り合いのみなさん、今後ともよろしくお願いします。

2009年3月4日水曜日

人生の目標。

どうやら、私の人生目標は社会と密接にかかわっているようだ。

私の人生目標はかなり単純である。

「私が生まれたときと比べて、私が死ぬときの社会の方が良いものになるようにしたい」

また、私には「自分が生きている間に社会がどう変わっていくのか見てみたい」という願望もある。

良い社会とはどんな社会かはまた別の問題として考えるとして、このように私の人生目標や願望には社会という言葉が入っている。

自分の利害と他人の利害が衝突してしまう場合は、自分の願望を実現するために自分の利害をある程度優先せざるを得ないだろうが、そうでない限りは自分の目標に照らして、自分と他人の共通の利益を追求していきたい。

夢物語かもしれないが、それが私の生きる意味だと思う。

2009年3月2日月曜日

伊豆小旅行。

思い立って、伊豆半島まで桜を見に行ってみることにした。

早咲きの桜というと河津が有名なようだ。

当初はそれを見に行く予定だったが、どうもWebで調べた限りでは2月の暖かさでもう散り始めているらしい。

河津への行き方を考えているときに手に入れたJRのパンフレットによると、下田にも早咲きの桜があるという。

こちらは菜の花畑もあるというので、こちらへ行ってみることにしたところ。

南伊豆町・日野の菜の花畑

一面の菜の花畑。

花粉症が非常に煩わしかったが、香りを吸い込んでここで昼食。

近くではテレビ静岡のリポーターが取材をしていた。

取材を受けている方も観光客だったようだが「お忍びだから」と笑いながらも答えていらっしゃった。

ここからミナミノサクラの桜並木までシャトルバスが運行していると聞いていたのだが、残念ながらこれは土日のみの運行だったので歩いて行ってみることに。

少しして川沿いに桜が見えてきたが、やはり半分以上が葉になっている。

しかし、花は目の高さから身の丈の倍程度の高さについている。

首の疲れない花見はなかなか良い。

南伊豆町・下賀茂の足湯「湯の花」

しばらく歩くと下賀茂温泉の足湯があった。

先客でいらっしゃった地元の方と少しお話して、足湯で少し休む。

この方はふもとの弓ヶ浜から1時間程かけて、よくここまで足を運ぶと仰っていた。

「行きは大変、でも帰りはとても足が軽くなる」と笑顔を浮かべていらっしゃった。

千石船をあしらった石廊崎・下田間遊覧船

ここからは石廊崎まで一気に移動。

下田に着いたときに、石廊崎から下田まで海から伊豆半島を眺められるという遊覧船のチケットを持っている。

しかし車が入ることのできる石廊崎のふもとから、灯台のある岬までの山道は往復で40分ほどかかるという。

船の運航時間には間に合わなくなってしまうので、石廊崎から太平洋を眺めるのは断念。

江戸時代の千石船をあしらった船で、潮の香りに包まれて下田へ戻る。

河津桜

帰路、河津で途中下車。

まだ駅前には少し満開の株が残っていた。

そう言えば、往路に河津を通ったときはたくさんの方が降りて行かれた。

JRの河津桜宣伝でいらっしゃったのか、以前からこの時期を楽しみにしていらっしゃるのかはわからないが、そのときのイメージが強く、河津は結構混んでいると思っていた。

しかし時間も夕方だったからか、もう人もそれほどおらず、のんびりと見て回ることができた。

復路ではさらに熱海で途中下車して海の幸をいただく。

帰宅は23時半になってしまったが、ボリュームたっぷりの旅だった。

このブログを書くのに必死で思い出さなければならないほど。

鈍行列車で行ったからか思ったほどお金もかからなかったし、またこうして旅をしてみたい。

2009年3月1日日曜日

楽しむジャズ。

本日、とあるビッグバンドジャズの演奏会があり、聴きに行った。

ジャズは元々、軍楽隊で楽器を与えられた黒人がアメリカで始めたと言われている。

民俗音楽は総じてそうだが、基本的には「演奏者が一番楽しい」のが音楽だ。

ジャズはその傾向が特に顕著で、演奏している人、あるいは演奏した経験のある人はとても楽しいが、それ以外の人にはクラシック音楽とあまり変わらない、敷居の高い音楽と考えられがちである。

恐らくその差は、一体感の得やすさと関連があると思う。

演奏者や経験者は、そうでない人に比べて演奏に聴き入る、つまり一緒に演奏しているような気分になるのが難しいのではないだろうか。

音楽を楽しむ一番の方法は、この一体感を得ることだと思う。

演奏者はその一体感をお客様に感じてもらえるように、最大限の努力をすべきだろうとも思う。

ジャズではよく「自分たちが楽しくなければ、聴いている人は楽しくなれない」と言う。

これは確かだと思う。

だが「自分たちが楽しければ、聴いている人も楽しくなれる」とは言い切れないとも思う。

むしろ「自分たちが一体感を持たなければ、聴いている人も一体感は持てない」というのがより正しいのではないだろうか。

自分たちが一体感を感じたときは、自分たちが楽しさを感じる瞬間でもあると思うからだ。

それをお客様と共有した瞬間が、理想の一瞬だろうと思う。

自分たちの演奏の凄さを見せつけるだけでは、演奏会ではなく発表会だ。

どうすればお客様と一緒に楽しめるのか。

答えはきっと、その中にある。

2009年2月28日土曜日

日本一。

心中穏やかでない方も多いのではないだろうか。

WBC日本代表、埼玉西武ライオンズに完敗。

もちろん、条件には違いがありすぎる。

早々に日本代表監督就任を拒絶した渡辺監督が率いる西武。

一方で日本代表の原監督は、今後のことを考えると自信を失わせるような形で投手を交代させることもできず、かなり苦しい思いをしただろう。

日本は前回のWBCで頂点に立った。

埼玉西武ライオンズは今回、リーグ戦と日本シリーズを通じて国内で日本一になった。

言わば、世界最強の国における最強チームである。

そんなチームと今後のことを考えながら戦わねばならない日本代表は、打ち負かされる中でかなり悔しい思いをしただろう。

今回の戦いを言わば「愛の鞭」と受け止めてもらい、是非WBCでは活躍する姿を見せてほしいものだ。

2009年2月27日金曜日

姐さん、奴さん。

本日、母が姐さんデビュー。

デイケアサービスセンターで三味線弾きつつ唄ってきたらしい。

悪天候だったので私も途中まで太鼓持ち。

今日演奏したという「奴さん」という曲が今日の風情にぴったりなので、紹介してみようと思う。

エェ 奴さん どちら行く

アァ コリャコリャ

旦那迎えに さても寒いのに 供揃え

ユキノ

降る夜も 風の日も

ア サテ オトモハ ツライネ

いつも 奴さんは 高端折り

アリャセ コリャサ

それもそうかいなェ

ついでに英訳もしてみよう。

かなり直訳的だが、一応メロディに合わせて唄えるようにしてある。

Hey, Yakko man, where are you going?

Ah, Korya! Korya!

He shall obey his master together with his peers even in the cold

If it snows

Or if it winds, every night and day

Oh, baby, the servant is so hard work!

Anytime a Yakko man rolls his bottoms up

Oh, really? Yes, of course!

There is nothing surprising

2009年2月26日木曜日

e-Taxって、なんですか?

療養中の私には当然医療費がかかる。

医療費は確定申告によって所得税から一部控除されると父に教えられ、父の興味と相まって電子申請e-Taxに挑戦することになった。

電子申請をすると、それだけで5'000円の控除が発生する。

ただし住民基本台帳カードの発行に500円、そこに電子証明書を書き込むのにまた500円、ICカードリーダに約2'500円、そして手間と時間がかかる。

実際、住基カードの発行と電子証明書の書き込みは昨日市役所で1時間ほどかけて行い、ICカードリーダも診察のついでとは言え上京して買ったため、それなりに時間と手間がかかった。

しかし、そんなものこれから始まる時間と手間に比べれば些細なものである。

父の発案に従い父のMac OS X Tiger (10.4.11)を使用することに。

まず、ICカードリーダのドライバをパソコンにインストールする。

USB接続機器だがゼロインストールというわけにはいかない。

これはまだ序の口で、それほど問題ない。

次に、国税庁のホームページから電子認証キーを入手する。

これがMacではなかなか面倒だ。

入手自体は簡単なのだが、16ビットのハッシュコードが正しいかどうか確認しろと言われ、0~Fの暗号めいた数字を読み上げて確認しなければならない。

そして、電子申請に必要なソフトウェアをダウンロードしてインストールする。

ダウンロードしたデータが正しいものか確認するため、またハッシュコードを確認する。

しかも確認方法は、ターミナルを使用して「/usr/bin/openssl」というコマンドを入力、というCUI方式。

正直なところ、ターミナルを使用させる時点でパソコン初心者には不可能だろう。

しかも環境が悪いのかデータが悪いのか、このダウンロードしたソフトウェアのインストーラが起動しない。

何度やっても起動しない。

どうせ国税庁に質問しても「じゃあ紙でやってください」と言われるのが目に見えているし、Macに相談しても解決に時間がかかるだろう。

ここで作業を一旦諦めて、翌日にWindows XPでやり直すことに決める。

Mission Incompleted.

本気で普及させるつもりがあるのだろうか。

2009年2月25日水曜日

クスリ撲滅運動中。

本日も定例の診察。

睡眠状態を除いて症状は安定したため、スルピリド系の薬剤の服用停止が決まった。

最終目標である服薬全面停止へ向けて大きな一歩。

これから投薬については微調整の段階に入るため、毎週診察をお願いすることになった。

3種類が2種類になるのは、やはり大きな変化だと思う。

回復の兆しとして、素直に喜びたい。

2009年2月23日月曜日

バッハとジャズ。

最近、バッハの声楽曲やパッヘルベルのカノンなどをアレンジしてみようかと考えている。

私が好きなビッグバンドジャズは、20人弱の中規模な編成で演奏する吹奏楽とジャズの境目のようなジャンルだ。

自由に演奏してよい部分もあれば、全員でタイミングを合わせて演奏する楽しみも得られる。

各パートが独立して絡み合い綺麗なコーラスを生み出すバッハの声楽曲のような音楽を演奏したら、一体どんなサウンドができあがるのだろうか。

対位法は300年も前にはバッハが確立し、以降彼を凌いだ作曲家はいないといってもよいジャンルだ。

正確な理解とアレンジには正しい分析も欠かせないだろう。

すぐに取り掛かれるような課題ではないが、いずれは取り組んでみたい。

2009年2月22日日曜日

睡眠の質について。

どうも最近、睡眠の質に変化が見られる。

具体的には、最初の4時間が頭脳睡眠、その後の2~3時間が肉体睡眠に充てられているような気がするのだ。

まず、睡眠に入ってから4時間は目覚めることが無くなった。

一方で、4時間ほど経つと必ず目覚める。

この時点で頭はある程度すっきりしているが、体は非常に重たく起き上がる気力は出ない。

これ以降は頭が覚醒してしまうのか、はっきりした夢の大軍に襲われながら断続的に眠る時間が続く。

30分前後で目覚めることを繰り返すが、これを最低でも2時間は続けないと体から疲れが抜けない。

症状の一時的な悪化なのか、はたまた薬の副作用なのか。

次回診察のときに質問してみようと思う。

2009年2月19日木曜日

会社とは。

1つ、とんでもない思い違いをしていた。

会社は、ヒトではない、恐ろしい存在である。

会社は、個人ではできないことを集団で実現しようとする組織だ。

その組織は法律上ヒトと同じようにものを所有し、意思決定を下し、契約を結ぶことができる。

しかし会社には身体があるわけでもないし、血も通っていないし、感情を持ってもいない。

会社はヒトと同じような存在だが、ヒトではないのだ。

しかも、設立目的が「個人ではできないことを集団で実現」することであることからも明らかなように、会社にはどんな個人もかなわないように設計されている。

私が人事部に出かけていくと、応対してくださる方は毎回違うが、話はきちんと進んでいくのだ。

応対してくださる方にどんな個人的感情を抱こうとも、会社そのものに対して私が感情を抱くことはできない。

そういうようにできているのだ。

しかし、会社は確かに存在する。

私は会社と契約を結んで会社員になったし、会社の命令で業務に当たり、会社の命令で休職している。

そして、会社の命令で復職したり、会社の命令で解雇されたりするのだろう。

いわば、会社とは無臭のガスのように人間の五感では感じることすらできないが、確かにそこに存在する得体のしれない存在なのだ。

一度決定が下されれば、会社はそれに沿って何の感情も持たずに行動することができる。

もちろん、実際にそれを実行するのはヒトだから、そこには何がしかの感情が交じるだろう。

しかしそれを実行するヒトだって、会社という得体のしれない存在に命令されて仕方なしに行動している。

会社とはそんな個人の感情など平然と飲み込める、恐ろしい存在なのである。

会社を憎んで、ヒトを憎まず。

2009年2月18日水曜日

今回の診察。

水曜日恒例となった診察。

天気が良かったので池袋から大塚まで歩いてみたが、30分くらいで行けてしまった。

肝心の睡眠時間は4時間から6時間程度とあまり一定ではない。

午前中にやることを見つけられず昼寝してしまうのが遠因かも知れない。

今後は少し意識的に昼寝を控えてみようと思う。

しかし、最近ではやることがなくても、何かしなければという強迫感には苛まれなくなった。

全体として精神は安定へ向かっているように思う。

2009年2月15日日曜日

St. Valentine's Day

2月14日はヴァレンタインデー。

大切な人に感謝の心をこめてプレゼントを贈る日。

別にチョコレートである必要は無いのだが、日本では少し意味が変わって伝わってしまっているので、この際抗っても仕方がない。

私は元来料理が好きである。

得意では決してないが、不味いものを作ったことはない。

そんな私には、こういう日は数少ないお菓子を作る機会を与えてくれる日でもある。

そのため私は、高校時代から製菓業界曰く「逆チョコ」の名で仕掛けられている今年の流行を先取りしていた経緯がある。

今年こそ手作りはしなかったが、数人に逆チョコをプレゼントした。

ちなみに今年はヴァレンタインデーが休日とあって、企業での義理チョコ乱舞が起こらない可能性があるとの危惧でもあるのか、チョコレート売り場には「ことしは遅チョコ」と大書されていた。

そこまでやるか。

2009年2月14日土曜日

Rhodes

楽器店の前でメトロノームを失くしたことを思い出して入店したところ、聴こえてきたのは甘い音色。

みなさんはローズというエレクトリックピアノをご存知だろうか。

現在では電子ピアノに押されて製造されていないが、独特の甘い音色はチック・コリアやスティーヴィー・ワンダー、リチャード・ティーらを魅了し、今でもジャズやフュージョンでは根強い人気がある。

私自身、名前は知っていたが実物を見たのがこの日が初めて。

試奏もさせてもらえた。

聞けば、この楽器店「宮地楽器」はローズのオーバーホールができるとのこと。

最新鋭のクラビノーバ程度の大きさがあるのが難点だが、いずれは手に入れたい一品だ。

2009年2月13日金曜日

みんなのうた。

本棚を整理していた私の前にひょっこり現れたのは「みんなのうたベストアルバム100」。

発行は昭和61年。

私がまだ2歳足らずの頃だ。

それでも知っている曲が満載で、思わずいくつか熱唱した私。

まだ「いたずラッコ」や「おはようクレヨン」が無いところを見ると、この2つは比較的新しい歌なのだろう。

  • キャベツUFO
  • コンピューターおばあちゃん
  • パンダ・ダ・パ・ヤッ
  • こだぬきポンポ
  • あかおにとあおおにのタンゴ
  • だれもしらない

「みんなのうた」で何を聴いていたかは、世代によって異なるという。

みなさんはいくつご存知だろうか。

2009年2月10日火曜日

後輩来襲。

我が家に高校時代の後輩がやって来た。

事前のメールでは12日に近くへ来るとの予定だったと思っていたが、後輩の帰宅後に調べてみたら確かにその後「間違えました、10日の方が都合がよいです」とあった。

私の確認ミスである。

いろいろな話ができて、以前から渡したかった楽譜も渡せて有意義な時間が過ごせたが、如何せん上記の理由から私にとっては電撃訪問。

後輩が帰宅した後はどっと疲れが押し寄せて4時間動けなかった。

その辺りがまだまだ病人の証かも知れない。

2009年2月6日金曜日

起キラレナイ強迫症?

私は、明日は起きられるかどうか、と毎晩心配している。

親と話をして指摘されるまで私自身も気づかなかったが。

確かに、馬鹿げているが必ず心配している。

だから不安を抱えたまま睡眠へ入り、質の良い睡眠が取れないままなのだろうか。

一方、私は目覚まし時計はおろか、何と他人に起こしてもらっても一向に起きないことがある。

私が心配を抱えるのも理由があってのことなのだ。

本能が目覚めることを拒否するあの瞬間、私は一体何故眠り続けようとするのだろう。

私にしかわからないだろうが、私にはまだわからない。

2009年2月4日水曜日

恒例の診察日。

水曜日恒例の診察。

最近は6時間以上寝られる日が多くなってきた。

一方で翌日に予定が入っていると4時間で目覚めたりと、まだまだ本調子とは言えない。

先日の服薬忘れ事件のこともあり、まだまだ私は病人だ。

しかし、昨日の日記に書いたように緊張が自覚できるようになるなど、進歩も見られる。

物事の捉え方を「〜しないと」から「〜しよう」へと転換するなどしながら、少しずつ快方へ向かっていると信じて生活を送っていこうと思う。

2009年2月3日火曜日

怠惰な毎日、緊張の毎日。

どうやら、私はイベントのある日に気負いすぎるきらいがあるようだ。

普段の生活を適度な緊張とともに送り、その延長で出掛けるなどのイベントをこなせれば良いのだが、自宅ではとことん怠惰に過ごし、出掛けるときだけ気合いを入れるという生活スタイルが確立してしまっている。

これでは、営業日の毎日が勝負とも言える社会人生活が破綻してしまうのも無理もない。

軽度の緊張で毎日を乗り切る、言わば「適当な生き方」が必要なのかもしれない。

2009年2月1日日曜日

Touch Diamond

E-Mobileへ移行して早一週間。

Touch Diamondの感想を簡単につづってみたい。

原則として、スマートに見える事以外にあまり利点は無い。

欠点の方が少々気になる。

例えば、テンキーが無いため文字の入力には画面を支える手とタッチペンで書き込む手の両方が必要になる。

ペンの手書き入力の精度はかなり良いのだが、両手が必要というのは少々難点だ。

また、マナーモードへの移行もキー1つというわけにはいかない。

最大の欠点は液晶から本体まで真っ黒なので手垢が目立つこと。

タッチペンを利用すれば解決するが、それには前述のとおり両手が必要だ。

液晶クリーナーで頻繁に掃除をするか、タッチペンを利用して両手操作をするか。

目下の悩み事である。

2009年1月31日土曜日

いつか王子が。

Someday I'll be in Oji.

我ながら親父ギャグだ。

本日は中学時代のクラスメイトを訪ねて王子へ。

不肖私、中学に関しては東京都北区出身である。

私はどうもクラスメイトとは卒業後に仲良くなる傾向が強い。

高校時代の友達も、大半が卒業後に仲良くなった人々だ。

打ち解けるには3年では短すぎるという性分なのかも知れない。

悩みでも考えていることでも何でも気兼ねなく口に出せる貴重な相手だ。

病気のこと、仕事のこと、将来のこと。

今日も少々倒れた頃に話が及んだときに息が乱れたが、特に危険を感じるほどではなかった。

その点では少しずつだが快方に向かっている。

また、やはり声に出して相手に伝えると、自分の状況が整理できる。

自分は「うつになっても頑張ろうとして、頑張りすぎて最後には身体が持たなくなる」タイプ。

一言で言うなら「頑張りすぎ病」もしくは「自己体力無頓着病」のようだ。

そうとわかれば対策も見えてくる。

一方でなかなか治らないのが睡眠障害だ。

本日の目覚めは日本時間午前3時。

最近は睡眠薬の薬効が意識されつつも、二度寝ができないという傾向にある。

午前5時には仕方なく起床した。

睡眠障害は一朝一夕ではどうにもならないようである。

気を長く持つしかない。

2009年1月28日水曜日

健康診断。

会社所定の健康診断がある。

期間内の受診日は自由に決められるが、とにかくある。

うつにとっては面倒なイベントだ。

それでも本日は比較的調子も良く、錦糸町まで出掛けた。

昨年と同じ場所で受診したが、昨年とは違って非常に空いており、ものの30分で終了。

折角持って行った本を読む暇すら無かった。

折角持って行った本とは、以前映画について言及した「ワールド・オブ・ライズ」の英語原作"Body of Lies"である。

1ページにわからない単語が数個あるが、映画を観ていることもあって言いたいことはある程度わかるので、下線だけ引いて先へ進んでいる。

映画とは全く違う始まり方で、いきなりサスペンスめいていてかなり面白い。

既に映画を観た方で過去完了(大過去)くらいまでは勉強した方、是非一読を。

書籍代の方が映画代よりも高く付くことだけは納得が行かないが。

2009年1月26日月曜日

約束破り。

あってはならないことをしてしまった。

昨日に予定していたSkypeのチャットタイムをすっぽかしたのだ。

本日に至ってようやく思い出し、慌てて連絡を入れたものの。

お相手の後輩には大変申し訳なく存じており、この場も借りてお詫び申し上げます。

言い訳になるのを覚悟で書くなら、同日中に買い物とSkypeを両立させるのは現在の私には少々応える。

ただでさえ気の緩みが進行し連日の外出ですらままならない日々だ。

緊張が抜けてきているという意味では良い兆候だが、社会性は日々失われている。

一番大切なことは、いつまでこんな生活が続くのか、という悲観的な考えをしないようにすることだけ、らしいが。

2009年1月25日日曜日

E-Mobileユーザーです。

本日、全部タッチパネルで操作するTouch Diamondを導入。

併せて叩き売られていたミニノートPCも手に入れた。

札幌から逃げ帰ってきて以来、自分専用PCが無かったのでこれはかなり大きい。

携帯電話のメールアドレスは失ってしまったが、よくよく考えてみれば携帯電話にメールアドレスが付いているのは日本だけかもしれない。

ヨーロッパ旅行をした際に感じたのは、携帯電話があまりにシンプルな「電話」だったという事実。

既に携帯電話にメールアドレスとカメラが標準搭載されている日本では、シンプルな電話であるノキアが売れないのもうなずける。

しばらくは代わりにGmailを使う日々だが、日本で果たしてこれが通用するのか、身をもって試してみよう。

2009年1月22日木曜日

お薬を飲み忘れたら。

きっと、目に映る

全てのものは、強迫感。

冒頭からいきなりユーミンを汚してしまい、ファンの皆様には申し訳なく思っている。

本日、本来飲むべきだったSSRIという種類の抗不安薬を飲み忘れた。

その報いが夜中になって現れ、強迫感に苛まれて5回以上目を覚ます事態に。

具体的には両親に「ご飯の時間だ」と言われて起こされているような気がしたり、「もう朝だ」と言われて起こされているような気がしたり。

ちなみに実際の時間は午前1時半だったり午前4時だったりするのだが。

改めて薬が無いとまともに生活できない自分を自覚。

まだまだ私は病人だった。

2009年1月21日水曜日

オバマ大統領就任式。

米大統領就任式がほぼ無事に終わった。

宣誓だけはやり直したらしいが。

演説自体はこれまでのものと比べて控えめな雰囲気だった。

知らない単語出現率は約40%。

まだまだ勉強不足である。

しかし、彼を見ていると不安になることが一つだけある。

ケネディもキング牧師も辿った道を、どうか彼だけは辿りませんように。

どうか彼が凶弾に倒れませんように。

以下は既に演説内容として掲載されていたものを、私が聴き直した演説全文。

My fellow citizens:

I stand here today humbled by the task before us, grateful for the trust you bestowed, mindful of the sacrifices borne by our ancestors.

I thank President Bush for his service to our nation, as well as the generousity and cooperation he has shown throughout this transition.

44 Americans have now taken the presidential oath.

The words have been spoken during rising tides of prosperity and the still waters of peace.

Yet, every so often, the oath is taken amidst gathering clouds and raging storms.

At these moments, America has carried on

not simply because of the skill or vision of those in high office,

but because WE, the People, have remained faithful to the ideals of our forbearers, and true to our founding documents.

So it has been.

So it must be with this generation of Americans.

That we are in the midst of crisis is now well understood.

Our nation is at war against a far-reaching network of violence and hatred.

Our economy is badly weakened, a consequence of greed and irresponsibility on the part of some, but also our collective failure to make hard choices and prepare the nation for a new age.

Homes have been lost; jobs shed; businesses shuttered.

Our health care is too costly; our schools fail too many; and each day brings further evidence that the ways we use energy strengthen our adversaries and threaten our planet.

These are the indicators of crisis, subject to data and statistics.

Less measurable but no less profound is a sapping of confidence across our land - a nagging fear that America's decline is inevitable, and that the next generation must lower its sights.

Today I say to you that the challenges we face are real.

They are serious and they are many.

They will not be met easily or in a short span of time.

But know this, America - they will be met.

On this day, we gather because we have chosen hope over fear, unity of purpose over conflict and discord.

On this day, we come to proclaim an end to the petty grievances and false promises, the recriminations and worn out dogmas, that for far too long have strangled our politics.

We remain a young nation, but in the words of Scripture,

the time has come to set aside childish things.

The time has come to reaffirm our enduring spirit; to choose our better history; to carry forward that precious gift, that noble idea, passed on from generation to generation: the God-given promise that

all are equal,

all are free,

and all deserve a chance to pursue their full measure of happiness.

In reaffirming the greatness of our nation, we understand that greatness is never a given.

It must be earned.

Our journey has never been one of short-cuts or settling for less.

It has not been the path for the faint-hearted - for those who prefer leisure over work, or seek only the pleasures of riches and fame.

Rather, it has been the risk-takers, the doers, the makers of things - some celebrated but more often men and women obscure in their labor, who have carried us up the long, rugged path towards prosperity and freedom.

For us, they packed up their few worldly possessions and traveled across oceans in search of a new life.

For us, they toiled in sweatshops and settled the West; endured the lash of the whip and plowed the hard earth.

For us, they fought and died, in places like Concord and Gettysburg; Normandy and Khe Sahn.

Time and again these men and women struggled and sacrificed and worked till their hands were raw so that we might live a better life.

They saw America as bigger than the sum of our individual ambitions; greater than all the differences of birth or wealth or faction.

This is the journey we continue today.

We remain the most prosperous, powerful nation on Earth.

Our workers are no less productive than when this crisis began.

Our minds are no less inventive,

our goods and services no less needed

than they were last week or last month or last year.

Our capacity remains undiminished.

But our time of standing pat, of protecting narrow interests and putting off unpleasant decisions - that time has surely passed.

Starting today, we must

pick ourselves up,

dust ourselves off,

and begin again the work of remaking America.

For everywhere we look, there is work to be done.

The state of our economy calls for action, bold and swift, and we will act - not only to create new jobs, but to lay a new foundation for growth.

We will build the roads and bridges, the electric grids and digital lines that feed our commerce and bind us together.

We will restore science to its rightful place, and wield technology's wonders to raise health care's quality and lower its cost.

We will harness

the sun and

the winds and

the soil to fuel our cars and run our factories.

And we will transform our schools and colleges and universities to meet the demands of a new age.

All this we can do.

All this we WILL do.

Now, there are some who question the scale of our ambitions - who suggest that our system cannot tolerate too many big plans.

Their memories are short.

For they have forgotten what this country has already done; what free men and women can achieve when imagination is joined to common purpose, and necessity to courage.

What the cynics fail to understand is that the ground has shifted beneath them - that the stale political arguments that have consumed us for so long no longer apply.

The question we ask today is not whether our government is too big or too small, but whether it works - whether it helps families find jobs at a decent wage, care they can afford, a retirement that is dignified.

Where the answer is yes, we intend to move forward.

Where the answer is no, programs will end.

And those of us who manage the public's dollars will be held to account - to spend wisely, reform bad habits, and do our business in the light of day - because only then can we restore the vital trust between a people and their government.

Nor is the question before us whether the market is a force for good or ill.

Its power to generate wealth and expand freedom is unmatched, but this crisis has reminded us that without a watchful eye, the market can spin out of control - and that a nation cannot prosper long when it favors only the prosperous.

The success of our economy has always depended not just on the size of our Gross Domestic Product, but on the reach of our prosperity; on our ability to extend opportunity to every willing heart - not out of charity, but because it is the surest route to our common good.

As for our common defense, we reject as false the choice between our safety and our ideals.

Our Founding Fathers, our Founding Fathers faced with perils we can scarcely imagine, drafted a charter to assure the rule of law and the rights of man, a charter expanded by the blood of generations.

Those ideals still light the world, and we will not give them up for expedience's sake.

And so, to all other peoples and governments who are watching today, from the grandest capitals to the small village where my father was born: know that America is a friend of each nation and every man, woman, and child who seeks a future of peace and dignity, and that we are ready to lead once more.

Recall that earlier generations faced down fascism and communism not just with missiles and tanks, but with sturdy alliances and enduring convictions.

They understood that our power alone cannot protect us, nor does it entitle us to do as we please.

Instead, they knew that our power grows through its prudent use; our security emanates from the justness of our cause, the force of our example, the tempering qualities of humility and restraint.

We are the keepers of this legacy.

Guided by these principles once more, we can meet those new threats that demand even greater effort - even greater cooperation and understanding between nations.

We will begin to responsibly leave Iraq to its people, and forge a hard-earned peace in Afghanistan.

With old friends and former foes, we will work tirelessly to lessen the nuclear threat, and roll back the specter of a warming planet.

We will not apologize for our way of life, nor will we waver in its defense, and for those who seek to advance their aims by inducing terror and slaughtering innocents, we say to you now that our spirit is stronger and cannot be broken; you cannot outlast us, and we will defeat you.

For we know that our patchwork heritage is a strength, not a weakness.

We are a nation of Christians and Muslims, Jews and Hindus, and non-believers.

We are shaped by every language and culture, drawn from every end of this Earth; and because we have tasted the bitter swill of civil war and segregation, and emerged from that dark chapter stronger and more united, we cannot help but believe that the old hatreds shall someday pass; that the lines of tribe shall soon dissolve; that as the world grows smaller, our common humanity shall reveal itself; and that America must play its role in ushering in a new era of peace.

To the Muslim world, we seek a new way forward, based on mutual interest and mutual respect.

To those leaders around the globe who seek to sow conflict, or blame their society's ills on the West, know that your people will judge you on what you can build, not what you destroy.

To those, to those who cling to power through corruption and deceit and the silencing of dissent, know that you are on the wrong side of history, but that we will extend a hand if you are willing to unclench your fist.

To the people of poor nations, we pledge to work alongside you to make your farms flourish and let clean waters flow, to nourish starved bodies and feed hungry minds.

And to those nations like ours that enjoy relative plenty, we say we can no longer afford indifference to suffering outside our borders, nor can we consume the world's resources without regard to effect.

For the world has changed, and we must change with it.

As we consider the road that unfolds before us, we remember with humble gratitude those brave Americans who, at this very hour, patrol far-off deserts and distant mountains.

They have something to tell us, just as the fallen heroes who lie in Arlington whisper through the ages.

We honor them

not only because they are the guardians of our liberty,

but because they embody the spirit of service: a willingness to find meaning in something greater than themselves.

And yet, at this moment - a moment that will define a generation - it is precisely this spirit that must inhabit us all.

For as much as government can do and must do,

it is ultimately the faith and determination of the American people upon which this nation relies.

It is the kindness to take in a stranger when the levees break, the selflessness of workers who would rather cut their hours than see a friend lose their job which sees us through our darkest hours.

It is the firefighter's courage to storm a stairway filled with smoke, but also a parent's willingness to nurture a child, that finally decides our fate.

Our challenges may be new.

The instruments with which we meet them may be new.

But those values upon which our success depends -

honesty and hard work,

courage and fair play,

tolerance and curiosity,

loyalty and patriotism - these things are old.

These things are true.

They have been the quiet force of progress throughout our history.

What is demanded then is a return to these truths.

What is required of us now is a new era of responsibility, a recognition, on the part of every American, that we have duties to ourselves, our nation, and the world, duties that we do not grudgingly accept but rather seize gladly, firm in the knowledge that there is nothing so satisfying to the spirit, so defining of our character, than giving our all to a difficult task.

This is the price and the promise of citizenship.

This is the source of our confidence, the knowledge that God calls on us to shape an uncertain destiny.

This is the meaning of our liberty and our creed, why men and women and children of every race and every faith can join in celebration across this magnificent mall, and why a man whose father less than sixty years ago might not have been served at a local restaurant, can now stand before you to take a most sacred oath.

So let us mark this day with remembrance, of who we are and how far we have traveled.

In the year of America's birth, in the coldest of months, a small band of patriots huddled by dying campfires on the shores of an icy river.

The capital was abandoned.

The enemy was advancing.

The snow was stained with blood.

At a moment when the outcome of our revolution was most in doubt, the father of our nation ordered these words be read to the people:

"Let it be told to the future world...

that in the depth of winter, when nothing but hope and virtue could survive...

that the city and the country, alarmed at one common danger, came forth to meet it."

America!

In the face of our common dangers,

in this winter of our hardship,

let us remember these timeless words.

With hope and virtue,

let us brave once more the icy currents, and endure what storms may come.

Let it be said by our children's children

that when we were tested we refused to let this journey end,

that we did not turn back nor did we falter;

and with eyes fixed on the horizon and God's grace upon us,

we carried forth that great gift of freedom and delivered it safely to future generations.

Thank you.

God bless you.

And God bless the United States of America.